コラム

「追い出し部屋」と「体罰自殺」の何が問題なのか?

2013年01月09日(水)13時44分

 年末の朝日新聞に「追い出し部屋」という大企業のリストラ策の一環についての記事が掲載されて話題になっています。この種の問題は20年ぐらい前からあり、終身雇用契約のために解雇が難しい中で、企業としては「リストラ対象」として指名した人間を、意図的に極端な閑職に追いやり最終的に自分から辞表を出させるというものです。

 この問題については、「非現実的な雇用に関する規制が残っているからダメなんだ」という文脈で論じられることが多いようです。企業が一方的に従業員を解雇することができず、正社員の終身雇用が保護され「過ぎている」というわけです。この論調は「そのために、若い世代の労働機会が奪われている」という論理に結びつけることもされています。

 私は、この問題に関しては、ある程度の規制緩和は必要ではないかと思います。但し、その場合は経営層から管理職層、専門職層に対して整理解雇の条件を緩くする一方で、非管理職、非専門職に対しては「より雇用が守られる」というようなバランスの取れた制度にすべきと思います。

 地位の低い存在は「勝手に取っ換え引っ換え」が可能な一方で、一部の「生え抜きエリート」はヌクヌクと地位が保証されるというのでは、社会常識に照らして不正義であるだけでなく、経営の保守化による競争力喪失の危険を高めるからです。

 この問題に関しては、もう1つの観点が必要と思います。それは「精神的苦痛を与える」とう行為に対して、どのように責任を問うていくかという問題です。

 一方で大阪市の高校で、バスケットボール部の主将が顧問から受けた体罰を苦に自殺したというニュースがありました。この「体罰自殺」の背景にあるのも、「追い出し部屋」と同じ構造だと思います。

 一言で言えば、現在の日本の刑法では「意図的に仕事を与えずに精神的に追い詰める」とか、「一対一の会話において暴言を吐く」というようなことにより「精神的苦痛」を与えるだけでは犯罪を構成しないのです。また民事上の責任を問うことも難しくなっています。

 また、今回の大阪の高校の場合は、「明確に体罰があった」ということで問題視ができるわけですが、仮に物理的な接触がなく「言葉の暴力」が浴びせられていただけであれば、刑事事件としても、また民事事件としても責任を問うのは難しいのです。

 このバスケットボールの主将の場合は「自分だけが体罰を受けるのが苦痛だった」と言っていたようです。ここにおける「苦痛」というのは、物理的な痛みではなく、精神的な苦痛であることは明白です。顧問は、主将を殴ることで、部員たちも震え上がるだろうとか、主将自身も顧問に代わって「よりミスのないゲーム運び」のために部員への厳しいリーダーシップを発揮するだろうという「前近代的なアプローチ」で、罪の意識もなく「主将を殴る」ということを続けていたのだと思います。

 ですが、想像するに部員たちは現代の若者であり、主将が殴られていても「だから主将というのは損な役だよな」とか「可哀想だけど、俺達はそれなりに勉強時間も必要なので猛練習っていったって限界あるよな」というように「醒めていた」可能性があるように思います。あくまで想像ですが、そんな中で「チームを強くするためにお前を殴る」という顧問と、「自分は殴られ損」だとか「マイペースの部員と暴力的な顧問の間で自分は板挟み」という「精神的苦痛」を抱え込んでいた可能性が濃厚です。自殺の直接の原因は、体罰が「痛かった」からではなく、そうした種類の「精神的苦痛」だと思います。

 そのような「精神的苦痛」を与えたのは、現代では全く通用しない旧式な指導法に固執し、それが機能していないことに気づかないという、指導者失格としか言いようのない顧問教師にほかなりません。これは傷害致死罪に匹敵する反社会的行為だと思います。ですが、現在の法律では「物理的な体罰」に関しては責任を問うことはできても、精神的苦痛については難しいのです。

 ただ、現在の法律でも「被害者が自殺した」とか「心的ストレスの結果、身体的不調が明らか」という「物理的な結果」のある場合は責任を問うことはできます。ですが、自殺には及ばないようなケースで、身体的なトラブルの出ていない、純粋に心的な外傷だけの場合は、現在の法体系では責任は問えません。それが、こうした問題が根絶できない理由だと思います。橋下市長の言うような管理体制の問題ではありません。

 私は、この「追い出し部屋」のような個人の名誉を踏みにじる行為、あるいは「主将の名誉を貶めて発奮に期待する」的な「指導」のような、「意図的に精神的苦痛を与える行為」を取り締まるような刑法改正がされる必要があると考えます。

 例えば、刑法には「名誉毀損罪」とか「侮辱罪」というものがありますが、これはあくまで「社会的に名誉を貶めた」とか「集団の中で侮辱して恥をかかせた」というものであって、「密室で1対1の状況」では、教師や上司が、いくら「お前は人間のクズだ」とか「勇気があったら死んでみろ」などという暴言を吐いても、それ自体は一切罪に問えないのです。

 昨今はパワハラであるとか、モラハラに対する意識が高まり、悪質なものは問題になるようになりましたが、これも立件するのはそう簡単ではありません。自殺や体調不良など「物理的な影響があった」とか、著しく連続性があり「職場環境として悪化した」というカテゴリに入るとか、あるいは物理的な暴行とか、何らかの物理的な苦痛や不利益を示唆する「脅迫」があったということでなくては、不法行為にはしにくいのです。「密室での暴言」だけでは、あるいは「目に見えない心的外傷」だけではダメというのが今の法律です。

 いじめの問題も同じで、暴行や脅迫は取り締まれますが、純粋な「いじめ」だけでは立件は難しいのです。DVなどについても、純粋に「暴言だけ」では刑法で取り締まれないので苦し紛れに新法を作ったわけですし、セクハラについても同様です。とにかく「純粋な暴言」によって、人に取り返しのつかない心の傷を負わせる行為を、そのことだけで厳しく摘発できるようにすべきであると思います。

 難しさがあるのは分かります。心的な外傷を立証するだけの心療内科医のノウハウが確立され、それが社会的に説得力を持つという「文化的なインフラ」を構築すること、証言や証拠を元として「被害者の心の軌跡」をストーリー性を持って認定してゆくような検察や法廷のあり方、また冤罪を防ぐ仕組みなど、膨大な作業を積み上げていかねばなりません。場合によっては成文法と判例だけでなく、裁判員による「コモンセンス(人間の常識)」からの判断を蓄積してゆくことも必要でしょう。価値観のバラバラな社会を放置することへの反省も必要です。

 ですが、やはり「ダメなものはダメ」なのだと思います。人の心に傷を与える行為は、それだけで一発アウトとして、被害者を法の名のもとにおいて保護すべきです。加害者を罰するには自殺以外に声の上げようがないというのは、被害者が弱いのではなく、法律が守ってくれないからだと言えるからです。

プロフィール

冷泉彰彦

(れいぜい あきひこ)ニュージャージー州在住。作家・ジャーナリスト。プリンストン日本語学校高等部主任。1959年東京生まれ。東京大学文学部卒業。コロンビア大学大学院修士(日本語教授法)。福武書店(現ベネッセコーポレーション)勤務を経て93年に渡米。

最新刊『自動運転「戦場」ルポ ウーバー、グーグル、日本勢――クルマの近未来』(朝日新書)が7月13日に発売。近著に『アイビーリーグの入り方 アメリカ大学入試の知られざる実態と名門大学の合格基準』(CCCメディアハウス)など。メールマガジンJMM(村上龍編集長)で「FROM911、USAレポート」(www.jmm.co.jp/)を連載中。週刊メルマガ(有料)「冷泉彰彦のプリンストン通信」配信中。

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