最新記事

シリア情勢

トルコ軍がシリアに「ヒステリックな攻撃」を加えた理由とロシアの狙い

2020年3月3日(火)18時00分
青山弘之(東京外国語大学教授)

履行されなかったプーチンとエルドアンのソチ合意

続いて2018年9月、ヴラジミール・プーチン大統領とレジェップ・タイイップ・エルドアン大統領はロシアの避暑地ソチで会談し、新たな合意を交わした。ソチ合意と呼ばれるそれは以下4点を骨子とした。

●緊張緩和地帯第1ゾーンの境界に幅15〜20キロからなる非武装地帯を設置する(地図3)。
●2018年10月10日までに非武装地帯からすべての当事者が戦車、多連装ロケット砲、大砲、迫撃砲を撤去する。
●10月15日までに非武装地帯内から「テロリスト」を排除する。
●年末までにアレッポ市とラタキア市を結ぶM4高速道路と、アレッポ市とハマー市(さらには首都ダマスカス)を結ぶM5高速道路を再開する。

aoyamamap3.jpg

地図3 非武装地帯(2018年9月)

だが、ソチ合意は履行されなかった。反体制派が「合法的な反体制派」と「テロリスト」に峻別されなかったからだ。それは、トルコが責任を果たさずに抗ったためと見ることもできたし、ロシアがトルコに実現不可能な無理難題を押しつけて追い込もうとしたためとも解釈できた。

いずれにせよ、シリア政府とロシアは、ソチ合意に見切りをつけるかたちで、2019年4月末から反体制派への攻撃を激化させた。反体制派は5月、シリアのアル=カーイダであるシャーム解放機構(旧ヌスラ戦線)、トルコが支援する国民解放戦線(その後「Turkish-backed Free Syrian Army(TFSA)」と称される国民軍に合流)、そしてかつてバラク・オバマ前政権が支援してきた「穏健な反体制派」のイッザ軍などが「決戦」作戦司令室を結成して対抗した。また、新興のアル=カーイダ系組織であるフッラース・ディーン機構、アンサール・タウヒード、そして中国新疆ウィグル自治区出身者を主体とするトルキスタン・イスラーム党も「決戦」作戦司令室と連携した。

シリア情勢をめぐっては、「反体制派」という言葉が多用され、「(独裁)政権軍」と対照されることで、ポジティブなイメージを醸し出してきた。だが、その中核をなしていたのはアル=カーイダだった。

歯車が狂い始めたロシアとトルコの取引

シリア・ロシア軍は、2019年8月までにハマー県北部のムーリク市、カフルズィーター市、イドリブ県南部のハーン・シャイフーン市一帯を制圧することに成功した(地図4)。これもまた、トルコへの見返りを念頭においた戦果であるかのように思えた。同年10月、ドナルド・トランプ米政権の(2度目の)部隊撤退決定を受けて、トルコ軍が3度目の侵攻作戦となる「平和の泉」作戦を開始し、ロシアもこれを黙認したからだ。

aoyamamap4.jpg

地図4 2019年8月の勢力図

しかし、この頃からロシアとトルコの取引の歯車が狂い始めた。
トルコは、「平和の泉」作戦によって、国境地帯に幅30キロの安全地帯を設置し、そこからPYD(より厳密に言うと人民防衛隊(YPG)を主体とするシリア民主軍(SDF))を排除し、占領下に置こうとした(地図5)。だが、ロシアが停戦を仲介したことで、作戦は中途半端なかたちで終了、トルコが占領できたのは、タッル・アブヤド市(ラッカ県)一帯とラアス・アイン市(ハサカ県)一帯に限られた。それ以外の地域には、ロシア軍だけでなく、シリア軍が展開した(地図6)。

aoyamamap5.jpg

地図5 「平和の泉」作戦でトルコが設置をめざした安全地帯

aoyamamap6.jpg

地図6 「平和の泉」作戦終了後の勢力図

ただし、消化不良だったのは、ロシアも同じだった。なぜなら、「オリーブの枝」作戦の時と同様、ロシアは国境地帯へのトルコの勢力拡大を黙認することで、緊張緩和地帯第1ゾーンにおける反体制派支配地を縮小しようとしていたからである。シリア政府とロシアが、反体制派を峻別しようとしないトルコへの批判を強め、2020年1月下旬に、反体制派への一大攻勢を開始した背景には、こうした事情があった。

シリア・ロシア軍が狙ったのは、緊張緩和地帯第1ゾーン第2地区だった。その目的は復興を軌道に乗せることにあった。

今、あなたにオススメ
ニュース速報

ビジネス

米国株式市場=ダウ一時初の4万ドル台、利下げ観測が

ビジネス

NY外為市場=ドル上昇、4月輸入物価が約2年ぶりの

ビジネス

中国の生産能力と輸出、米での投資損なう可能性=米N

ワールド

G7、ロシア凍結資産活用巡るEUの方針支持へ 財務
今、あなたにオススメ
MAGAZINE
特集:インドのヒント
特集:インドのヒント
2024年5月21日号(5/14発売)

矛盾だらけの人口超大国インド。読み解くカギはモディ首相の言葉にあり

メールマガジンのご登録はこちらから。
人気ランキング
  • 1

    立ち上る火柱、転がる犠牲者、ロシアの軍用車両10両を一度に焼き尽くす動画をウクライナ軍が投稿

  • 2

    羽田空港衝突事故で「日航の奇跡」を可能にした、奇跡とは程遠い偉業

  • 3

    アメリカはどうでもよい...弾薬の供与停止も「進撃のイスラエル」は止まらない

  • 4

    老化した脳、わずか半年の有酸素運動で若返る=「脳…

  • 5

    半分しか当たらない北朝鮮ミサイル、ロシアに供与と…

  • 6

    総額100万円ほどの負担増...国民年金の納付「5年延長…

  • 7

    2023年の北半球、過去2000年で最も暑い夏──温暖化が…

  • 8

    共同親権法制を実施するうえでの2つの留意点

  • 9

    プーチン5期目はデフォルト前夜?......ロシアの歴史…

  • 10

    仰向けで微動だにせず...食事にありつきたい「演技派…

  • 1

    新宿タワマン刺殺、和久井学容疑者に「同情」などできない理由

  • 2

    やっと撃墜できたドローンが、仲間の兵士に直撃する悲劇の動画...ロシア軍内で高まる「ショットガン寄越せ」の声

  • 3

    立ち上る火柱、転がる犠牲者、ロシアの軍用車両10両を一度に焼き尽くす動画をウクライナ軍が投稿

  • 4

    大阪万博でも「同じ過ち」が繰り返された...「太平洋…

  • 5

    原因は「若者の困窮」ではない? 急速に進む韓国少…

  • 6

    北米で素数ゼミが1803年以来の同時大発生、騒音もダ…

  • 7

    常圧で、種結晶を使わず、短時間で作りだせる...韓国…

  • 8

    ロシア兵がウクライナ「ATACMS」ミサイルの直撃を受…

  • 9

    プーチン5期目はデフォルト前夜?......ロシアの歴史…

  • 10

    「終わりよければ全てよし」...日本の「締めくくりの…

  • 1

    ロシア「BUK-M1」が1発も撃てずに吹き飛ぶ瞬間...ミサイル発射寸前の「砲撃成功」動画をウクライナが公開

  • 2

    「おやつの代わりにナッツ」でむしろ太る...医学博士が教えるスナック菓子を控えるよりも美容と健康に大事なこと

  • 3

    最強生物クマムシが、大量の放射線を浴びても死なない理由が明らかに

  • 4

    新宿タワマン刺殺、和久井学容疑者に「同情」などで…

  • 5

    やっと撃墜できたドローンが、仲間の兵士に直撃する…

  • 6

    世界3位の経済大国にはなれない?インドが「過大評価…

  • 7

    一瞬の閃光と爆音...ウクライナ戦闘機、ロシア軍ドロ…

  • 8

    タトゥーだけではなかった...バイキングが行っていた…

  • 9

    立ち上る火柱、転がる犠牲者、ロシアの軍用車両10両…

  • 10

    ヨルダン・ラジワ皇太子妃のマタニティ姿「デニム生地…

日本再発見 シーズン2
CHALLENGING INNOVATOR
Wonderful Story
MOOK
ニューズウィーク日本版別冊
ニューズウィーク日本版別冊

好評発売中