コラム

戦場を生き延びた兵士は、なぜアメリカで壊れるのか?

2016年08月31日(水)10時40分

Chris Keane-REUTERS

<アフガニスタンやイラクの戦場から帰還したアメリカ兵が精神を病むケースが後を絶たない。戦場で戦友と共有した「仲間意識」を帰国後は持てなくなるから、という分析もある。しかし連帯感を感じられるコミュニティは戦場だけではないはずだ>(写真はアフガニスタンから帰還して家族との再会を喜ぶ米兵)

 2001年の同時多発テロ以来、アメリカは15年もの間「戦時中」の状態にある。アメリカ本土での戦闘がなく、徴兵制度もないために、一般のアメリカ人はふだんそれを忘れがちだ。

 軍人たちは、戦地で残酷な死を目撃し、友を失い、ときには人を殺さざるを得ない状況に追い込まれる。その過酷な戦場を生き延び、幸運に任期を終えた軍人は、なぜか、平和な母国に戻ってから精神的に壊れる。多くの退役軍人が、PTSD(心的外傷後ストレス障害)の診断を受け、障がい者扶助や治療を受けるが、それでもうつによる自殺者は後を絶たない。

Tribe: On Homecoming and Belonging』の著者セバスチャン・ユンガーは、アフガニスタンで北部同盟と行動をともにしたり、陸軍部隊に同行してドキュメンタリー映画を作ったりしてきたノンフィクション作家だ。退役軍人とも親しく交友を続けている。

 戦地で恐ろしい体験をした退役軍人が平和な母国に戻ってから苦しむ現象をユンガーは次のように説明する。

【参考記事】米軍がアフガン駐留を続けざるを得ない事情

 生死をかけて闘わねばならない戦地では、部隊は仲間として強く団結する。「兵士は自分の部隊のなかで互いの人種、宗教、政党などの違いをまったく気にかけない」。ところが、戻ってくると、祖国アメリカは、収入格差、教育格差、人種、宗教で分断されている。そして人々は、平和な国で暮らしているのに、富裕層や政府、移民、そして大統領に対してまで激しい憎しみを公言する。

 そんな祖国に戻った退役軍人は、「国のために喜んで命を捧げる覚悟があったのに、国のためにどう生きれば良いのかわからなくなってしまう」のだ。それが彼らの「絶望感」に繋がっているとユンガーは言う。

【参考記事】帰還後に自殺する若き米兵の叫び

 退役軍人に必要なのは、仲間意識で繋がる「コミュニティ」だとユンガーは考えている。自分よりも弱い者、恵まれていない者を助けることができる誇り、勇敢さ、忠誠心、それらが人の心を根底から支えている。平和な国に戻った軍人が恐ろしい戦地を恋しがるのは、この仲間意識であり、「部族(tribe)」の感覚だ。

 コミュニティ意識が必要なのは、退役軍人だけではない。現代アメリカが抱える問題の数々は、コミュニティ意識の喪失に関連しているというのがユンガーの説だ。

 サブプライムローンを背景にした2008年の金融危機ではアメリカで900万人が失業し、500万の家族が自宅を失った。失業と自殺率には大きな関連があることで知られ、医学雑誌ランセットによると、この影響で増えた自殺数は推定5000人だという。世界恐慌を阻止する策として金融機関への公的資金注入が行われたが、金融危機に直接関係がある金融機関の上層部は、国民にこれほど多くの迷惑をかけながらも、誰も罪に問われていない。ユンガーは、「地面にゴミを平気で捨てる人は自分がその場を共有するひとりだという自覚がない」と例えるが、徹底的な利己主義になれるのは、社会を構成する他のメンバーとの精神的なコネクションがないからだ。これも「コミュニティ意識の喪失」だろう。

プロフィール

渡辺由佳里

Yukari Watanabe <Twitter Address https://twitter.com/YukariWatanabe
アメリカ・ボストン在住のエッセイスト、翻訳家。兵庫県生まれ。外資系企業勤務などを経て95年にアメリカに移住。2001年に小説『ノーティアーズ』(新潮社)で小説新潮長篇新人賞受賞。近著に『ベストセラーで読み解く現代アメリカ』(亜紀書房)、『トランプがはじめた21世紀の南北戦争』(晶文社)などがある。翻訳には、レベッカ・ソルニット『それを、真の名で呼ぶならば』(岩波書店)、『グレイトフル・デッドにマーケティングを学ぶ』(日経BP社、日経ビジネス人文庫)、マリア・V スナイダー『毒見師イレーナ』(ハーパーコリンズ)がある。

今、あなたにオススメ
ニュース速報

ビジネス

ノババックス、サノフィとコロナワクチンのライセンス

ビジネス

中国高級EVのジーカー、米上場初日は約35%急騰

ワールド

トランプ氏、ヘイリー氏を副大統領候補に検討との報道

ビジネス

米石油・ガス掘削リグ稼働数、3週連続減少=ベーカー
今、あなたにオススメ
MAGAZINE
特集:岸田のホンネ
特集:岸田のホンネ
2024年5月14日号(5/ 8発売)

金正恩会談、台湾有事、円安・インフレの出口......岸田首相がニューズウィーク単独取材で語った「次の日本」

メールマガジンのご登録はこちらから。
人気ランキング
  • 1

    やっと撃墜できたドローンが、仲間の兵士に直撃する悲劇の動画...ロシア軍内で高まる「ショットガン寄越せ」の声

  • 2

    新宿タワマン刺殺、和久井学容疑者に「同情」などできない理由

  • 3

    常圧で、種結晶を使わず、短時間で作りだせる...韓国の研究チームが開発した「第3のダイヤモンド合成法」の意義とは?

  • 4

    横から見れば裸...英歌手のメットガラ衣装に「カーテ…

  • 5

    ブラッドレー歩兵戦闘車、ロシアT80戦車を撃ち抜く「…

  • 6

    ロシア兵がウクライナ「ATACMS」ミサイルの直撃を受…

  • 7

    アメリカでなぜか人気急上昇中のメーガン妃...「ネト…

  • 8

    「終わりよければ全てよし」...日本の「締めくくりの…

  • 9

    地下室の排水口の中に、無数の触手を蠢かせる「謎の…

  • 10

    ウクライナ軍ブラッドレー歩兵戦闘車の強力な射撃を…

  • 1

    新宿タワマン刺殺、和久井学容疑者に「同情」などできない理由

  • 2

    ヨルダン・ラジワ皇太子妃のマタニティ姿「デニム生地ジャンプスーツ」が話題に

  • 3

    大阪万博でも「同じ過ち」が繰り返された...「太平洋戦争の敗北」を招いた日本社会の大きな弱点とは?

  • 4

    やっと撃墜できたドローンが、仲間の兵士に直撃する…

  • 5

    「恋人に会いたい」歌姫テイラー・スウィフト...不必…

  • 6

    常圧で、種結晶を使わず、短時間で作りだせる...韓国…

  • 7

    ロシア兵がウクライナ「ATACMS」ミサイルの直撃を受…

  • 8

    どの顔が好き? 「パートナーに求める性格」が分かる…

  • 9

    日本の10代は「スマホだけ」しか使いこなせない

  • 10

    ウクライナ防空の切り札「機関銃ドローン」、米追加…

  • 1

    ロシア「BUK-M1」が1発も撃てずに吹き飛ぶ瞬間...ミサイル発射寸前の「砲撃成功」動画をウクライナが公開

  • 2

    「おやつの代わりにナッツ」でむしろ太る...医学博士が教えるスナック菓子を控えるよりも美容と健康に大事なこと

  • 3

    最強生物クマムシが、大量の放射線を浴びても死なない理由が明らかに

  • 4

    韓国で「イエス・ジャパン」ブームが起きている

  • 5

    世界3位の経済大国にはなれない?インドが「過大評価…

  • 6

    新宿タワマン刺殺、和久井学容疑者に「同情」などで…

  • 7

    一瞬の閃光と爆音...ウクライナ戦闘機、ロシア軍ドロ…

  • 8

    タトゥーだけではなかった...バイキングが行っていた…

  • 9

    ヨルダン・ラジワ皇太子妃のマタニティ姿「デニム生地…

  • 10

    どの顔が好き? 「パートナーに求める性格」が分かる…

日本再発見 シーズン2
CHALLENGING INNOVATOR
Wonderful Story