コラム

風刺小説の形でパンデミックの時代を記録する初めての新型コロナ小説

2021年11月16日(火)13時30分

この『Our Country Friends』がまず思い出させてくれるのは、パンデミック初期の「得体がしれないものへの不安」と「根拠のない楽観性」が混じった感覚だ。特に、サシャが集めたコロニーには「遠く離れていれば現実感が薄れる」という人間の心理がある。医師のトレーニングを受けたマシャは過剰なほどに神経質に描かれているが、私はマシャそのものだったから笑えない。当時はどの経路で感染するのかはっきりしていなかったから、スーパーから買ってきた食品の表面をすぐに消毒していたし、別の家で暮らしている者はたとえ家族でも家の中には入れなかった。そもそも、他の登場人物はマシャを笑えるほどの情報を持っていなかったのだ。彼らの根拠なき楽観性が後で致命的な結果をもたらすことになるのだが、それも作者の目論見どおりなのだろう。

次に考えさせられるのが、「閉じた世界」での人間心理だ。同じ集団とだけ毎日顔をあわせているので、恋にもおちやすく、嫉妬心も強まるということがある。また、リアルの世界での人との接触が減るので、ネットでの関係が以前よりも濃厚に感じるようになる。たとえば、この小説の登場人物たちは日本のテレビ番組の『テラスハウス』に夢中になっていて感情移入し、ブラック・ライブズ・マター(BLM)運動が全米に広まるきっかけになったジョージ・フロイド殺害にショックを受ける。

「俳優」との恋愛がソーシャルメディアで広まったディーに関してもそうだ。彼女の過去の発言が掘り起こされて人種差別主義者だと叩かれるようになったのもパンデミック時代の大衆心理を反映している。その反動もあってか、ディーは自分以外のグループ・メンバーは移民と人種マイノリティーだが自分より経済的な強者だというニュアンスの発言をしてその場の雰囲気を悪くする。ここに集まった者の半数はアジア系で、トランプ支持者が多いこの町では攻撃される恐れが出ていた(本書では固有名詞を使って説明されていないが、当時はトランプ大統領が新型コロナウイルスを「武漢ウイルス」と呼び、アジア系への暴力が増えていた)。ここにいるアジア系はある意味恵まれた人々だが、別の面では差別の被害者になるマイノリティーなのだ。現在アメリカの階級闘争はとても複雑なのだ。

パンデミックという特別な時代

「ユダヤ系の外国人」ということで自分も差別の対象になるサシャは、外の世界で数多くの人が感染して死亡しているのに自分たちが安全な場所で美味しい食事をしていることに罪悪感を覚える。これも「特権」である。「特権階級」の定義は見る角度によって変わる。ときには肌の色、ときには経済力、現時点で経済力がなくても育った環境や教育によるコネクションにより特権を得ることができる。それと同時に、高等教育を受けて経済力がある特権階級でも、宗教や人種マイノリティーだというだけで差別されたり、生命の危険にさらされたりすることもある。

作者のゲイリー・シュテインガートはロシア生まれのユダヤ系アメリカ人で、コロンビア大学で文章創作を教えている。妻はコリア系アメリカ人の弁護士だ。2010年にベストセラーになった近未来風刺小説『Super Sad True Love Story』では、主人公はロシア生まれのユダヤ系アメリカ人で彼が恋する相手はコリア系だった。今回もロシア生まれのユダヤ系アメリカ人作家が主人公で、コリア系の女性が出てくる。自分の人生で観察したことを描くほうが現実味があるのは確かだが、それ以上に自分の中にある滑稽な要素を笑うのが彼の作風なのだろう。

風刺小説なので「笑い」はあるし、視点が流動的に移り変わる文章は、数々の感情ドラマにスムーズに招きこんでくれる。でも、明るい気持ちになれる小説ではない。気分を変えたい人にはお薦めできないが、この特別な時代を歴史に残す小説として読む価値はある。

プロフィール

渡辺由佳里

Yukari Watanabe <Twitter Address https://twitter.com/YukariWatanabe
アメリカ・ボストン在住のエッセイスト、翻訳家。兵庫県生まれ。外資系企業勤務などを経て95年にアメリカに移住。2001年に小説『ノーティアーズ』(新潮社)で小説新潮長篇新人賞受賞。近著に『ベストセラーで読み解く現代アメリカ』(亜紀書房)、『トランプがはじめた21世紀の南北戦争』(晶文社)などがある。翻訳には、レベッカ・ソルニット『それを、真の名で呼ぶならば』(岩波書店)、『グレイトフル・デッドにマーケティングを学ぶ』(日経BP社、日経ビジネス人文庫)、マリア・V スナイダー『毒見師イレーナ』(ハーパーコリンズ)がある。

今、あなたにオススメ
ニュース速報

ビジネス

インフレ低下の確信「以前ほど強くない」、金利維持を

ワールド

バイデン大統領、対中関税を大幅引き上げ EVや半導

ワールド

再送-バイデン政権の対中関税引き上げ不十分、拡大す

ワールド

ジョージア議会、「スパイ法案」採択 大統領拒否権も
今、あなたにオススメ
MAGAZINE
特集:インドのヒント
特集:インドのヒント
2024年5月21日号(5/14発売)

矛盾だらけの人口超大国インド。読み解くカギはモディ首相の言葉にあり

メールマガジンのご登録はこちらから。
人気ランキング
  • 1

    原因は「若者の困窮」ではない? 急速に進む韓国少子化の本当の理由【アニメで解説】

  • 2

    北米で素数ゼミが1803年以来の同時大発生、騒音もダブルの「大合唱」

  • 3

    アメリカからの武器援助を勘定に入れていない?プーチンの危険なハルキウ攻勢

  • 4

    やっと撃墜できたドローンが、仲間の兵士に直撃する…

  • 5

    英供与車両から巨大な黒煙...ロシアのドローンが「貴…

  • 6

    新宿タワマン刺殺、和久井学容疑者に「同情」などで…

  • 7

    ユーロビジョン決勝、イスラエル歌手の登場に生中継…

  • 8

    ロシア兵がウクライナ「ATACMS」ミサイルの直撃を受…

  • 9

    「ゼレンスキー暗殺計画」はプーチンへの「贈り物」…

  • 10

    ロシア国営企業の「赤字が止まらない」...20%も買い…

  • 1

    新宿タワマン刺殺、和久井学容疑者に「同情」などできない理由

  • 2

    やっと撃墜できたドローンが、仲間の兵士に直撃する悲劇の動画...ロシア軍内で高まる「ショットガン寄越せ」の声

  • 3

    大阪万博でも「同じ過ち」が繰り返された...「太平洋戦争の敗北」を招いた日本社会の大きな弱点とは?

  • 4

    ヨルダン・ラジワ皇太子妃のマタニティ姿「デニム生地…

  • 5

    原因は「若者の困窮」ではない? 急速に進む韓国少…

  • 6

    「恋人に会いたい」歌姫テイラー・スウィフト...不必…

  • 7

    常圧で、種結晶を使わず、短時間で作りだせる...韓国…

  • 8

    ロシア兵がウクライナ「ATACMS」ミサイルの直撃を受…

  • 9

    日本の10代は「スマホだけ」しか使いこなせない

  • 10

    ウクライナ防空の切り札「機関銃ドローン」、米追加…

  • 1

    ロシア「BUK-M1」が1発も撃てずに吹き飛ぶ瞬間...ミサイル発射寸前の「砲撃成功」動画をウクライナが公開

  • 2

    「おやつの代わりにナッツ」でむしろ太る...医学博士が教えるスナック菓子を控えるよりも美容と健康に大事なこと

  • 3

    最強生物クマムシが、大量の放射線を浴びても死なない理由が明らかに

  • 4

    新宿タワマン刺殺、和久井学容疑者に「同情」などで…

  • 5

    世界3位の経済大国にはなれない?インドが「過大評価…

  • 6

    やっと撃墜できたドローンが、仲間の兵士に直撃する…

  • 7

    一瞬の閃光と爆音...ウクライナ戦闘機、ロシア軍ドロ…

  • 8

    タトゥーだけではなかった...バイキングが行っていた…

  • 9

    ヨルダン・ラジワ皇太子妃のマタニティ姿「デニム生地…

  • 10

    どの顔が好き? 「パートナーに求める性格」が分かる…

日本再発見 シーズン2
CHALLENGING INNOVATOR
Wonderful Story