コラム

新国立競技場が神宮の森を破壊する

2013年11月12日(火)15時36分

今週のコラムニスト:レジス・アルノー

〔11月5日号掲載〕

 1964年の東京オリンピックほど、開催都市に影響を与えたオリンピックは少ない。今の東京の姿は基本的に、あの頃につくられた。64年の日本といえばスタートラインに就いたばかり。国民の年齢中央値は約26歳で、第二次大戦中の空襲で焼け野原になった東京は不死鳥のごとくよみがえろうとしていた。

 後藤・安田記念東京都市研究所によれば、日本は年間予算の3分の1に当たる約1兆円をオリンピックに費やした。今日の約70兆円に相当する額で、大半は新幹線や首都高速道路、地下鉄の建設に使われた。

 64年は、日本の製造業が目覚ましい成長を始めた年でもある。65年から85年にかけて自動車の輸出台数は35倍に、テレビの輸出は148倍になった。文化的創造力も発揮された時代だ。市川崑監督のドキュメンタリー映画『東京オリンピック』は、当時の日本がいかに独創的だったかを証明している。

 そして今、日本はゴールに近づいている。年齢中央値は約45歳で、2度目の東京五輪が開催される20年には48.2歳になる。64年当時の2倍近くに老けるが、それでも五輪によって東京という都市は新たに輝くだろう。

 だが、街が破壊される危険もある。不動産開発業者は東京をコンクリートで埋め尽くそうとしている。彼らが計画しているのは、カジノの建設と神宮外苑の周辺を破壊することだ。

 神宮外苑に関して言えば、ザハ・ハディドが設計する新国立競技場が一帯の景観を台無しにしてしまうだろう。新競技場の総床面積は東京ドームの約2.5倍で、オリンピック史上最大。高さ70メートル、収容人数8万人に上る。総工費は1300億円と見込まれていたが、10月になって3000億円に膨れ上がる可能性があると報じられた。日本が膨大な政府債務を抱えるこの時代に、だ。

 東京はバブルから何も学ばなかったのか。この建築計画は、日本のメディアの沈黙の中で承認された。計画に疑問を呈する勇気があったのは、槇文彦ほか数人の建築家だけだ。

■今ある世界の解体を防ぐために

 槇に言わせれば、この計画は完全な失敗だ。周辺の景観に最悪の影響を及ぼし、災害や緊急事態が起きれば大惨事をもたらす恐れがある。五輪開催後の膨大な維持費のことはまったく考慮されていない。しかも、計画の決定プロセスは極めて曖昧だ。

 知識人を自称する猪瀬直樹都知事には、東京を守るために戦ってほしい。日本文化にこだわる安倍政権には靖国参拝だけではなく、真の意味で文化を守る行動を取ってほしい。日本の主流メディアと知識人も立ち上がってほしい。今あるものを維持してほしいというのは、大それた望みだろうか? 京都工芸繊維大学の松隈洋教授(近代建築史)は、新競技場についてこう書いている。「開かれた議論を尽くし、先人たちが築いた景観を次の世代に手渡すための、景観の民主主義はこの国では成立しないのか」

 日本の進むべき道を知りたいなら、京都の古い通りを歩いてみるといい。知り合いのホテルチェーン社長によれば、路地を散策する観光客の数は昨年に比べて7割も増えているという。世界を驚かせるのは、東京ではなく京都だ。「先斗町の通りは今や外国人だらけ。彼らはレストランやお店、ホテルの生命線だ」と、この社長は教えてくれた。

 アルベール・カミュは、57年のノーベル文学賞受賞演説でこう語った。「どの世代も、自分たちは世界をつくり直すことに身をささげていると信じているだろう。だが私の世代は、自分たちがつくり直すことはないと知っている。私の世代に課せられた任務はもっと大きなものだ。それは世界の解体を防ぐことにある」

 これこそが、現代の東京人に課された義務ではないかと私は思う。

プロフィール

東京に住む外国人によるリレーコラム

・マーティ・フリードマン(ミュージシャン)
・マイケル・プロンコ(明治学院大学教授)
・李小牧(歌舞伎町案内人)
・クォン・ヨンソク(一橋大学准教授)
・レジス・アルノー(仏フィガロ紙記者)
・ジャレド・ブレイタマン(デザイン人類学者)
・アズビー・ブラウン(金沢工業大学准教授)
・コリン・ジョイス(フリージャーナリスト)
・ジェームズ・ファーラー(上智大学教授)

今、あなたにオススメ
ニュース速報

ビジネス

中国4月鉱工業生産、予想以上に加速 小売売上高は減

ワールド

訂正-ポーランドのトゥスク首相脅迫か、Xに投稿 当

ビジネス

午前の日経平均は反落、前日の反動や米株安で

ビジネス

中国新築住宅価格、4月は前月比-0.6% 9年超ぶ
MAGAZINE
特集:インドのヒント
特集:インドのヒント
2024年5月21日号(5/14発売)

矛盾だらけの人口超大国インド。読み解くカギはモディ首相の言葉にあり

メールマガジンのご登録はこちらから。
人気ランキング
  • 1

    立ち上る火柱、転がる犠牲者、ロシアの軍用車両10両を一度に焼き尽くす動画をウクライナ軍が投稿

  • 2

    エジプトのギザ大ピラミッド近郊の地下に「謎めいた異常」...「極めて重要な発見」とは?

  • 3

    羽田空港衝突事故で「日航の奇跡」を可能にした、奇跡とは程遠い偉業

  • 4

    存在するはずのない系外惑星「ハルラ」をめぐる謎、…

  • 5

    老化した脳、わずか半年の有酸素運動で若返る=「脳…

  • 6

    アメリカはどうでもよい...弾薬の供与停止も「進撃の…

  • 7

    共同親権法制を実施するうえでの2つの留意点

  • 8

    半分しか当たらない北朝鮮ミサイル、ロシアに供与と…

  • 9

    新宿タワマン刺殺、和久井学容疑者に「同情」などで…

  • 10

    総額100万円ほどの負担増...国民年金の納付「5年延長…

  • 1

    新宿タワマン刺殺、和久井学容疑者に「同情」などできない理由

  • 2

    やっと撃墜できたドローンが、仲間の兵士に直撃する悲劇の動画...ロシア軍内で高まる「ショットガン寄越せ」の声

  • 3

    立ち上る火柱、転がる犠牲者、ロシアの軍用車両10両を一度に焼き尽くす動画をウクライナ軍が投稿

  • 4

    大阪万博でも「同じ過ち」が繰り返された...「太平洋…

  • 5

    原因は「若者の困窮」ではない? 急速に進む韓国少…

  • 6

    北米で素数ゼミが1803年以来の同時大発生、騒音もダ…

  • 7

    エジプトのギザ大ピラミッド近郊の地下に「謎めいた…

  • 8

    常圧で、種結晶を使わず、短時間で作りだせる...韓国…

  • 9

    ロシア兵がウクライナ「ATACMS」ミサイルの直撃を受…

  • 10

    プーチン5期目はデフォルト前夜?......ロシアの歴史…

  • 1

    ロシア「BUK-M1」が1発も撃てずに吹き飛ぶ瞬間...ミサイル発射寸前の「砲撃成功」動画をウクライナが公開

  • 2

    「おやつの代わりにナッツ」でむしろ太る...医学博士が教えるスナック菓子を控えるよりも美容と健康に大事なこと

  • 3

    最強生物クマムシが、大量の放射線を浴びても死なない理由が明らかに

  • 4

    新宿タワマン刺殺、和久井学容疑者に「同情」などで…

  • 5

    やっと撃墜できたドローンが、仲間の兵士に直撃する…

  • 6

    世界3位の経済大国にはなれない?インドが「過大評価…

  • 7

    立ち上る火柱、転がる犠牲者、ロシアの軍用車両10両…

  • 8

    一瞬の閃光と爆音...ウクライナ戦闘機、ロシア軍ドロ…

  • 9

    タトゥーだけではなかった...バイキングが行っていた…

  • 10

    ヨルダン・ラジワ皇太子妃のマタニティ姿「デニム生地…

日本再発見 シーズン2
CHALLENGING INNOVATOR
Wonderful Story