コラム

原発処理水の海洋放出「トリチウム水だから安全」の二重の欺瞞 

2021年04月16日(金)16時27分

しかし、水俣病など過去の公害事件の例をみても、公害の責任を取るべき政府・企業とその被害者としての地域住民の間には厳然たる力の非対称性、つまり権力勾配がある。科学技術やデータを独占している国・企業に対して、地域住民が、公害の被害を立証するなど「科学的」に対峙することは極めて難しい。したがって、国や企業が住民に対して公正な手続きや情報公開、限りなく誠実な対応をとることによってはじめて、対等な交渉は成り立つ。

この原則に照らすと、地元合意を海洋放出の条件に加える約束をしてきた以上、合意抜きの海洋放出は永遠にありえない。仮に福島原発の「トリチウム水」の安全性が実証されていようと(実際はまだ二次処理が行われていないので、安全だとはいえないのだが)東電・政府はそれを用いて、約束に基づき、まず地元の漁業関係者を説得しなければいけない。それが、権力勾配がある二者関係での、公正な民主的手続きなのだ。

原発政策の破綻を認め、政治的無責任体制の転換を

4月14日、原子力規制委員会は、柏崎刈羽原発に対し、事実上の再稼働禁止処分を下した。中央制御室への不正侵入や、テロ対策設備の故障を1年近く放置していたことが問題視されたかたちだ。日本の原発政策は破綻している。そもそも、核のごみの処分を将来の技術革新に丸投げする「トイレなきマンション」として運用を進め、その唯一の希望だった「もんじゅ」が大失敗しても誰も責任を取らないという時点で、原発政策のモラルは崩壊しているのだ。

原子力発電事業は断念しなければならない。原発事故の深刻さを少しでも誤魔化して原発事業の延命を図ろうとしているから、前首相がアンダーコントロールという嘘をつき、「トリチウム水」と称する汚染水を海に流そうとする。

原発に限らず、コロナでも、汚職事件でも、かかる政治的無責任体質は継続している。マスコミは忖度して政治的責任を追求せず、政治の不正に甘く、何か政治に怒ることがあってもすぐ忘却してしまう日本社会も共犯者かもしれない。いずれにせよこの政治的無責任体制を終わらせなければ、日本の政治はいつまでたっても良くなるまい。

プロフィール

藤崎剛人

(ふじさき・まさと) 批評家、非常勤講師
1982年生まれ。東京大学総合文化研究科単位取得退学。専門は思想史。特にカール・シュミットの公法思想を研究。『ユリイカ』、『現代思想』などにも寄稿。訳書にラインハルト・メーリング『カール・シュミット入門 ―― 思想・状況・人物像』(書肆心水、2022年)など。
X ID:@hokusyu1982

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