コラム

なぜ日本人はホロコーストに鈍感なのか【小林賢太郎氏解任】

2021年07月27日(火)16時24分

いいや、あなたたちは知っていた。

こういった近代史における無知につけ込んで、歴史修正主義者が1990年代後半から特に跋扈した。「真実の近現代史」などという歪曲された日本美化の近代史の俗説の延長の中に、ホロコースト否認まで行かなくとも、ホロコーストを相対化させようという動きが確実にある。

確かにナチの行ったホロコーストは悪事だが、それ以上の事をスターリンも、毛沢東も、ポル・ポトもやったのである。だからナチを糾弾するのだったら同様に彼らを糾弾しなければ不平等である―。という主張だ。

最近はここに、中国によるウイグル自治区での人権弾圧をホロコーストと結び付けて、「ナチを断罪するなら習近平を断罪しないとおかしい」という論が大手を振って歩いている。ネット空間を覗けば、「ナチばかり糾弾するのはおかしい。ウイグルで虐殺をやっている中国こそ現代のナチである」という意見で埋め尽くされている。確かに言いたい趣旨は分かるが、いずれもホロコーストの凄まじさを軽視し過ぎている。ヒトラーはミュンヘン一揆(1923年)に失敗し、投獄中に書いた『我が闘争』の中で、ユダヤ人をドイツ人の生存圏―つまり東方以東に強制移住させ、少なくともドイツ人の生活圏の中からはユダヤ人を完全に根絶するという「壮大な構想」の一端を披歴している。ホロコーストがスターリンや毛沢東と決定的に違うのは、人種優越主義(社会的ダーヴィニズム)を持ち出して、一個の人種を完全に、組織的に、そして計画的にこの地上から抹殺しようと本気になって考え、そしてその途中までを実際に実行した事だ。世界の歴史の中でこれだけ異常な行為を国家が行った事例はない。

だからこそ国際世論の普遍的な感情では「ホロコーストに関するあらゆる文脈での、いついかなる場合での揶揄は絶対にダメ」と既定されている。日本はそういった教育が無く、またその根底に近年の歴史修正主義者の跋扈による「日本はドイツと違う」論が根底にあるから、こういった国際世論の機微にあまりに鈍感なのだ。

知りませんでした。良く分りませんでした。悪気はなかったんです。全体の文脈の中ではそういう意図はなかったんです―、こんな抗弁がまるで通用しないほどホロコーストは鬼畜の所業であり絶対悪なのだ。戦後、ナチスドイツの敗北と共に強制収容所に入れられた栄養失調でがりがりにやせこけたユダヤ人は解放された。その亡霊の様な姿を見て、市井のドイツ人たちは口々に「私たちは(ホロコーストなど)知らなかったんだ!」とうろたえた。それに対してユダヤ人はこう言ったのである。

―いいや、あなたたちは知っていた。


※当記事はYahoo!ニュース個人からの転載です。

※筆者の記事はこちら

プロフィール

古谷経衡

(ふるや・つねひら)作家、評論家、愛猫家、ラブホテル評論家。1982年北海道生まれ。立命館大学文学部卒業。2014年よりNPO法人江東映像文化振興事業団理事長。2017年から社)日本ペンクラブ正会員。著書に『日本を蝕む極論の正体』『意識高い系の研究』『左翼も右翼もウソばかり』『女政治家の通信簿』『若者は本当に右傾化しているのか』『日本型リア充の研究』など。長編小説に『愛国商売』、新著に『敗軍の名将』

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