コラム

イギリスの薬物汚染を加速させる「カウンティ・ラインズ」の暗すぎる実態

2019年08月03日(土)17時45分

若者たちはほとんど何の見返りもなく違法行為を強いられる(画像はイメージです) MachineHeadz/iStock.

<地方の町で起こった殺人事件からあぶり出されたのは、ティーンエージャーを調教してドラッグの越境運び屋に仕立て上げるギャングの汚いやり方>

これは、あまりいい話ではないけれど、現代のイギリスをよく表している。今年2月、僕の住む町コルチェスターで1人の男が刺殺された。ここイギリスでは、都市部での殺人事件は「あってもおかしくない」とされているものの、町や郊外での殺人はまだまだ衝撃的だ。コルチェスターの人々がこの事件について話しては、それが町の中心部で起こったこともあって、とてもじゃないが信じられない、というふうに首を振っていたのを、よく覚えている。

当然、そこには犯罪への嫌悪感があった。でもその後、実際には殺された男は加害者の男に強盗を働こうとしていたらしい、との噂がささやかれ始めた。被害者への同情はいくぶん引いていった。誰も殺人を許容などしないが、殺された側も「罪のない犠牲者」ではなかったようだ、との認識が広がった。

案の定、この事件の裁判では事件の顛末がまさにその通りだったことが実証された――もう1つ、さらなる展開があったことを除けば。実は、ナイフを振りかざした加害者は麻薬密売人で、彼を襲おうとして刺殺された男はホームレスグループの1人であり、このホームレスグループは、売人がティーンエージャーたち(ホームレスやそれ以外にも)にクラスAドラッグ(ヘロインやコカインなど最も危険度の高い種類)を売りつけていたことに怒っていたという。

ホームレスグループがこの売人を標的にしたのはどうやら、強盗を働きたかったというだけでなく、彼が立場の弱い若者たちにハードドラッグを押し付けたことが「一線を越えた」ように感じられたから、という理由があるように思われる。事件の真相は闇に包まれているが、殺された男は若いホームレスを守ろうとのある種の道徳規範を抱いていたようで、そんな状況が明らかになったことで、彼の死に対する世間の同情もまたいくらか戻ってきた。

地方でもドラッグ入手が昔より容易に

7月、加害者のこの麻薬密売人は、今回の殺人事件で正当防衛を認められ、無罪を言い渡された。僕は裁判を傍聴してはいないが、彼の答弁は容易に想像できる。夜の道で怒れる男たちが近付いてきて襲われそうになったので、わが身を守るために戦った、と(当然ながら、人々は彼が麻薬密売の罪と武器所持の罪で起訴されてほしいと思っている)。

そして極めつけのもう1つの展開は、この麻薬密売人が未成年の17歳だったということだ。彼の住所はサウス・ロンドンのウーリッジとされる。ロンドンなどの都市部のギャングたちが自分の地域だけで商売するのではなく、未成年の運び屋を利用して外の地区にも手を伸ばそうとする「county lines(カウンティ・ラインズ)」と呼ばれる現象に彼が当てはまっていたのは明らかだ。

プロフィール

コリン・ジョイス

フリージャーナリスト。1970年、イギリス生まれ。92年に来日し、神戸と東京で暮らす。ニューズウィーク日本版記者、英デイリー・テレグラフ紙東京支局長を経て、フリーに。日本、ニューヨークでの滞在を経て2010年、16年ぶりに故郷イングランドに帰国。フリーランスのジャーナリストとしてイングランドのエセックスを拠点に活動する。ビールとサッカーをこよなく愛す。著書に『「ニッポン社会」入門――英国人記者の抱腹レポート』(NHK生活人新書)、『新「ニッポン社会」入門--英国人、日本で再び発見する』(三賢社)、『マインド・ザ・ギャップ! 日本とイギリスの〈すきま〉』(NHK出版新書)、『なぜオックスフォードが世界一の大学なのか』(三賢社)など。

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