コラム

北京の火災があぶり出した中国の都市化の矛盾

2017年12月27日(水)14時35分

1993年頃には浙江村の外来人口は推計で7~8万人にものぼり、そのほとんどが温州市の楽清県と永嘉県の出身者だった(王春光『社会流動和社会重構――京城「浙江村」研究』浙江人民出版社、1995年)。浙江村のなかには、温州の人々が好む野菜や水産品を商う市場が開設され、ヤミの診療所もあった。スラムというと、農村の貧しい人達が都会に流れ込んでくるが、いい職業が見つからないので粗末な住居に大勢で住み着く、というイメージを持たれがちだが、浙江村の人々は自ら作業場を営み、日夜勤勉に働いて、けっこうな稼ぎを得ていた。

追い出してもまた戻る

中国の都市行政はその都市に戸籍を持つ人口にサービスするように設計されている。ゴミ収集や小中学校、警察といった組織の定員は戸籍人口に比例して配分されているので、北京市政府に言わせれば、浙江村の住人のように勝手に住み着いた人たちのために回す余力はない。その結果、浙江村はほとんど治外法権のような境遇に置かれていた。そこで、浙江村の住人たちは自警団を組織した。私が浙江村を毎年訪れていた1990年代半ば、浙江村の入口には監視小屋があり、サングラスをかけたヤクザのような風体の男たちが目を光らせていた。

こうなると、北京市政府の目には浙江村は目の上のタンコブとして映る。とりわけ、1990年のアジア大会とか2000年のオリンピックの招致活動など、外国の目が北京に注がれるような時に、北京市政府は外国人に浙江村を見られたら大変だとばかりに、浙江村の住民たちを何度か追い出し、住居を取り壊した。しかし、しばらくすると住民たちはまた舞い戻って来て、浙江村の規模は以前よりさらに大きくなった。

しかし、私が2000年に訪れた時にはもぬけの殻となっていて、さすがの浙江村ももう命脈が尽きたようだった。それにしても、何万人もいた住民が一体どこへ消えたのか、彼らが営んでいた衣服縫製業が一体どうなったのか謎であった。

このたびの火災に関連する記事を読んで知ったことだが、大紅門村の浙江村から追い出された温州人たちは、そこから5キロほど南東にある旧宮鎮という場所に新たな生活と生産の場を見出した。しかし、やがてそこからも出ていかざるを得なくなり、10キロほど西にある西紅門鎮に至ったようである。移動する間に住民の中身も入れ替わった。温州人たちは事業でお金を貯めたのち、衣服縫製業も浙江村も「卒業」し、代わりに他の地方の出身者たちが衣服縫製業に従事するようになった。私は西紅門鎮に行ったことはないが、そこも縫製の作業場と住居が一体化したごちゃごちゃした場所であるらしい。

今回の北京市による違法建築一斉取り壊しが大きな義憤をかきたてたのは、それが「下流人口を追い出す」ことを目的としている、という噂が広まったことが一因だ。北京市政府はこの噂は誤解であり、火災の危険がある建物をなくすのが目的だと説明した(「央視新聞」2017年11月26日)が、火災の危険というのは表向きの口実で、真の目的は下流人口の追い出しだとの疑いを持たれても仕方がない。

プロフィール

丸川知雄

1964年生まれ。1987年東京大学経済学部経済学科卒業。2001年までアジア経済研究所で研究員。この間、1991~93年には中国社会学院工業経済研究所客員研究員として中国に駐在。2001年東京大学社会科学研究所助教授、2007年から教授。『現代中国経済』『チャイニーズ・ドリーム: 大衆資本主義が世界を変える』『現代中国の産業』など著書多数

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