高松の「実家じまい」に25年、1800万円かかった松本明子さんが語る教訓
松本明子さんとご両親の思い出の写真
そんな松本さんは、誰も住まなくなった四国の「実家じまい」に25年もかかった"苦労人"でもある。今月発売した著書『実家じまい終わらせました! ~大赤字を出した私が専門家とたどり着いた家とお墓のしまい方』(祥伝社)ではその経緯を赤裸々に記している。
家族との思い出がたっぷり詰まった実家を処分することは、想像以上に大変なことだ。「私と同じしくじりをしてほしくなかった」と語る松本さんに詳しく聞いた。
「明子、実家を頼む」
――香川県高松市の、ご両親の実家を25年間維持する費用が、累計で1800万円超かかったと聞いて驚きました。実家じまいをするまで25年間もかかったのは、お父様の遺言に重みを感じたからだそうですね。
父が亡くなったのは、2003年8月末。私が37歳のときでした。亡くなる少し前に病室を見舞うと、「明子、実家を頼む」と声を絞り出すように言ったんです。
両親はその数年前に東京に呼び寄せていて、実家はすでに数年、空き家の状態でした。
でも、浮き沈みの激しい芸能界で私の仕事がなくなったとき、いつでも高松に戻って来られるようにという思いと、母をおもんぱかったうえでの遺言だったのかもしれません。わざわざ宮大工さんに頼んだこだわりがつまった家だったので、生きた証しとして自分の城を遺したかったのだとも思います。
そうして、私は実家を相続で受け取りました。父は、高松の実家は2000万円ぐらいの価値があると考え、兄には実家の価値の半分ぐらいの金額を、保険を解約するなどして先に渡していました。実際には、実家にそこまでの価値はなかったことが後でわかるのですが、父がそこまで考えていてくれたことはとても嬉しかったですね。
ただ、いま振り返ると「実家を頼む」とはどのくらいの期間なのか、もっと具体的に聞いておけばよかった。私が一生涯、実家を管理すべきなのか。身体が動く70代ぐらいまでなのか、50代で手放していいという意味だったのか――。