Newsweek

いとうせいこう『国境なき医師団』を見に行く(フィリピン編3)

昭和30年代のようなマニラのスラムの路地

2017年2月16日(木)15時30分
いとうせいこう

    電線だらけのスラムを少し上から撮る(スマホ撮影)

    <「国境なき医師団」(MSF)を取材することになった いとうせいこうさんは、ハイチ、ギリシャで現場の声を聞き、今度はマニラを訪れた。そしてMSFのスラムでの活動について説明を受ける...>

    これまでの記事:「いとうせいこう、『国境なき医師団』を見に行く
    前回の記事:「あまりに知らないスラムのこと

    ケニア人ジェームス

    ケニア人ジェームス・ムタリアはどこからどう見ても冷静な巨漢で、現地オフィスの隣にもうひとつある部屋の奥で椅子に腰かけ、細縁の眼鏡の向こうからつぶらで少し眠そうな視線をこちらに向けている。そして時々表情を変えずにジョークを言う。

    俺と谷口さんは活動責任者ジョーダンからブリーフィングを受けたあと、プロジェクト・コーディネーターであるジェームスからも話を聞いたのだった。熱っぽいジョーダンの説明と違い、ジェームスは簡潔に自分たちの役割と将来像を語った。

    当然それは例のリプロダクティブ・ヘルスに関わっていた。そして最も重要なことは「LIKHAAN(リカーン)」という団体との関係だと彼らは両者ともに強調した。

    リカーンは医師が創設した地元NGO団体で、80年代以来、社会から取り残された女性と家族を対象としたリプロダクティブ・ヘルスケアの提供を活動の主目的としている。故マルコス大統領の独裁時代、メンバーは反マルコス・グループとして非暴力運動を繰り広げ、1984 年からは「Gabriela」という女性団体の一部でもあったが、1995 年に「リカーン」として独立した。その医療活動は今に至るまでたゆまず続けられ、スラムの民衆の信頼を得て、その中に深く入り込んでいるそうだった。

    「我々OCP(オペレーションセンター・パリ)は」

    と静かな男ジェームスは下からのぞき込むような仕草で言った。

    「彼らと手を組んで活動することを決めた。リカーンと共に歩むことで、スラムのより奥まで活動が行き届くからだ」

    マニラに「錨を下ろす」こと自体が緊急援助で有名な国境なき医師団(MSF)にとって珍しいと前に書いたが、現地の団体と連携する方針もまた非常に希なことだった(地中海で他団体と共に救助船を出してはいるが、それは主に彼らの技術や装備によって話が進んでおり、リカーンとのように医療NGO同士が連携するのとは異なっている)。

    さらにジェームスはミッションを素早くまとめて語った。

    リカーンと共にファミリープランニングを広めることの他に、性暴力の調査と対処、子宮頸癌の検査・治療と予防、無休の産科を作る、性感染症の予防と治療、医療保険加入へのサポート、巡回医療の確立......。

    以上には「無休の産科」「巡回医療」などまだ着手出来ていないことも入っているが、彼らのビジョンとしては始められるところから確実に進めようとしているらしく、そこにはフィリピン社会との難しい問題もあった。

    例えば、彼らの多くはカソリック教徒である。今年ようやく法王が中絶の罪を許す期間を無期限とすることを明らかにしたが、それでも信者は産むことを選ぶ。というか、周囲が中絶を許さないから、貧困家庭はより貧困になる。彼らは避妊を知らず、知っても抵抗があり、妊娠すれば必ず産まねばならず、育児にまた金がかかり、子供と共に貧困が深まり、という悪循環だ。

    また、もうひとつ非常に重要な問題が横たわっている。フィリピン自体はすでに貧困国ではなく、中所得国だということだ。通常は国際機関、あるいは団体の援助の順位が下がるのである。その首都マニラの中に広大なスラムがあっても、全体が中所得国であるがゆえに、例えば安くなるはずの薬価が一般価格になってしまう。実は貧困国よりも援助が行き届かない現実がそこにはある。

    ジェームスたちのミッションは、だからこそ難しいのだった。簡単に進みそうなことのひとつひとつに壁があり、したがってリカーンのような現地組織との連携が必要なのだ。

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