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北朝鮮

金正男殺害の容疑者は北朝鮮の秘密警察に逮捕されていた

2017年3月24日(金)13時12分
高英起(デイリーNKジャパン編集長/ジャーナリスト) ※デイリーNKジャパンより転載

偵察総局の影

韓氏はしかし「リ容疑者は翌2012年4月15日に釈放され、元々所属していた外務省4局に復帰した」と明かす。北朝鮮では故金日成主席の生誕100年を記念した大恩赦が同年1月から行われ、数千人の収監者が釈放されたとされる。4局はアジア・太平洋地域を管轄し、マレーシア、ベトナム、日本などが対象に含まれる。

とはいえ「恩赦だけならまだしも、元の職場に復帰するとは異例中の異例」と韓氏は指摘しながら、「おそらくこの時に、当局と本人の間で何らかの取引があったものと思われる」と推測する。

「『思想犯』というレッテルを貼られ、将来の出世の道を閉ざされたはずのリ容疑者に復権の『エサ』をぶら下げ、金正男暗殺グループへの加入を促したのではないか」というのだ。

そう考える根拠のひとつとして韓氏は、ベトナム大使館にいる貿易省惨事・徐某氏(50代男性)の存在を挙げた。

韓氏もよく知るこの人物の裏の顔は、北朝鮮で破壊工作を担う偵察総局所属の大佐で、ラオスをはじめ東南アジアでの滞在歴が長い「ベテラン工作員」だという。

「この徐氏の息子とリ容疑者が親友であることもあり、リ容疑者のベトナム語の能力を買った徐氏が、彼をリクルートした可能性が高い」というのが韓氏の見立てだ。

リ容疑者は4歳の時からベトナムで暮らしており「ベトナム語の実力はおそらく北朝鮮でナンバーワン」(韓氏)。必要に応じて金正恩氏のベトナム語通訳を務める「一号通訳」として長く育成されてきた経緯がある。

冒頭で紹介したように、2015年1月と16年9月の北朝鮮外務省高官によるベトナム訪問の際には通訳を担当していることからも、その実力の一端がうかがえる。

外交団の訪問時には半年前から名簿を相手国に伝えなければならない。当時、ベトナム大使館で勤務していた韓氏は、名簿の中に本来ならば収監中であるはずのリ容疑者の名前を見つけ「大使館でちょっとした騒ぎになったことをよく覚えている」という。

冒頭で紹介したマレーシア当局の発表によると、リ容疑者は昨年12月に保衛省所属の別の男性と共にベトナムに入国し、実行犯の一人でベトナム国籍のドアン・ティ・フォン容疑者をリクルートしたとされる。

韓氏はこれについて「リ容疑者はとにかくベトナム語がうまく、幼いころからの知人がベトナム国内にたくさんいた。ふたりはかなり以前に知り合っていた可能性もある」と話した。

さらに、韓国の国家情報院が今回の金正男氏の殺害を保衛省の「仕事」と見ていることに対しても疑問を呈した。

「保衛省の仕事は諜報、工作、監視であり、暗殺は偵察当局の専門分野」というのが北朝鮮での常識だというのだ。より一歩踏み込んで「ベトナムの偵察総局が総指揮を執った可能性もある」とも指摘する。

外国人を使い、空港で白昼堂々、殺害におよぶ手口も「一見雑に見えるが、様々な要素をちりばめることで、誰のしわざか分からないよう目くらましをする高度な仕事だ」(韓氏)。

マレーシア警察は、北朝鮮国籍の容疑者ら3人が現在も北朝鮮大使館の中にかくまわれているとの認識を示しているが、事態は動く気配をなかなか見せない。

韓氏は今後の見通しについて「北朝鮮が事実上人質としている9人のマレーシア人と、容疑者ら3人を交換するかたちになるだろう」と語った。

[筆者]
高英起(デイリーNKジャパン編集長/ジャーナリスト)
北朝鮮情報専門サイト「デイリーNKジャパン」編集長。関西大学経済学部卒業。98年から99年まで中国吉林省延辺大学に留学し、北朝鮮難民「脱北者」の現状や、北朝鮮内部情報を発信するが、北朝鮮当局の逆鱗に触れ、二度の指名手配を受ける。雑誌、週刊誌への執筆、テレビやラジオのコメンテーターも務める。主な著作に『コチェビよ、脱北の河を渡れ―中朝国境滞在記―』(新潮社)、『金正恩 核を持つお坊ちゃまくん、その素顔』(宝島社)、『北朝鮮ポップスの世界』(共著、花伝社)など。近著に『脱北者が明かす北朝鮮』(宝島社)。

※当記事は「デイリーNKジャパン」からの転載記事です。
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