最新記事

バレエ

生まれ変わった異端のダンサー、ポルーニンの「苦悶する肉体」

2017年7月19日(水)17時20分
スタブ・ジブ

magc170719-dancer01.jpg

苦悩の中で才能を開花させたポルーニン ©BRITISH BROADCASTING CORPORATION AND POLUNIN LTD. / 2016

だが、そんな至福の時はごくわずかだ。「舞台に立つのはいつも闘いだ。自分の感情との闘い、疲れとの闘い、怒りやいら立ちとの闘い」と、ポルーニンは語る。「私がバレエを選んだわけじゃない。母親だ。ケガをしたらもう踊らなくていいのにと、いつも思っていた」

ポルーニンが大きな苦悩を抱くようになったのはロンドンに来てすぐ、両親が離婚したことを知ったときだった。「彼の頭の中で、全てが砕け始めた」と、バレエ学校時代からの友人で、ロイヤル・バレエのファースト・ソリストであるバレンティノ・ズケッティは言う。

バレエで成功すれば、家族がまた一緒になれると、若きポルーニンは信じていた。「でも、そうはならなかった」と彼は言う。「とても傷ついた。......思い出なんて全部捨てたかった」

ポルーニンの生活は荒れた。練習は続けたが、友達と遊び歩くようになりドラッグにも手を出した。パーティーに行くと、最初の20分間に「とんでもない量の酒をあおり」、10分ほど大騒ぎしてから気絶するのが常だったと、ズケッティは当時を振り返る。だが、観客はポルーニンを愛した。メディアも彼の才能と気性に魅了された。

父親が会いに来ようとしたが、イギリスのビザがなかなか取れなかった。母親には会いに来ないでほしいと、ポルーニン自身が頼んだ。だから家族は、彼がロイヤル・バレエで踊っているのを見たことがない。

【参考記事】理想も希望も未来もなくひたすら怖いSFホラー『ライフ』

ある日、ポルーニンはリハーサルの最中に突然、ロイヤル・バレエを辞めると宣言した。その直後に撮影されたとおぼしきビデオには、雪が積もった路上で服を脱ぎ捨て、踊り始める姿が収められている。まるで初めて自由を謳歌するかのように。

ほかの場所で踊るのもいいかもしれない。例えばアメリカとか――。ポルーニンはそうつぶやく。だがすぐに、自分のような異端児はどこのバレエ団も受け入れてくれないだろうと語る。どうにかモスクワ音楽劇場バレエ団に居場所を見つけるが、やはりある日突然辞めてしまう。

「もうバレエをやめたいから、最後の作品の振り付けをしてほしいと頼まれた」と、ポルーニンと親しいジェイド・へールクリストフィは言う。こうして「テイク・ミー・トゥ・チャーチ」のプロジェクトが始まった。

「(この作品を通じて)セルゲイのファンに物語を聞かせたい」と、へールクリストフィは映画の中で語っている。「あまりあからさまな振り付けにはしたくないが、この作品を見れば、彼が懸命に努力していること、そして苦悩を抱えていることを分かってもらえるはずだ」

「ダンサーが求めるものを全て手に入れた。もう普通の生活をしたかった」と、ポルーニンは語る。「だったらやめればいい。簡単なことだと思った」

だが2カ月後、ポルーニンは再び舞台に戻り、バレエを踊り始めた。その観客席には、両親と祖母がいた。「踊りを愛していないと言ったら嘘になる」

今、あなたにオススメ

関連ワード

ニュース速報

ワールド

台湾の頼次期総統、20日の就任式で中国との「現状維

ワールド

イスラエル軍、ガザ北部で攻勢強化 米大統領補佐官が

ワールド

アングル:トランプ氏陣営、本選敗北に備え「異議申し

ビジネス

日本製鉄副会長が来週訪米、USスチール買収で働きか
今、あなたにオススメ
MAGAZINE
特集:インドのヒント
特集:インドのヒント
2024年5月21日号(5/14発売)

矛盾だらけの人口超大国インド。読み解くカギはモディ首相の言葉にあり

メールマガジンのご登録はこちらから。
人気ランキング
  • 1

    EVが売れると自転車が爆発する...EV大国の中国で次々に明らかになる落とし穴

  • 2

    「EVは自動車保険入れません」...中国EVいよいよヤバいのか!?

  • 3

    SNSで動画が大ヒットした「雨の中でバレエを踊るナイジェリアの少年」...経験した偏見と苦難、そして現在の夢

  • 4

    「まるでロイヤルツアー」...メーガン妃とヘンリー王…

  • 5

    時速160キロで走行...制御失ったテスラが宙を舞い、4…

  • 6

    チャールズ英国王、自身の「不気味」な肖像画を見た…

  • 7

    英供与車両から巨大な黒煙...ロシアのドローンが「貴…

  • 8

    日本とはどこが違う? 韓国ドラマのオリジナルサウン…

  • 9

    エジプトのギザ大ピラミッド近郊の地下に「謎めいた…

  • 10

    立ち上る火柱、転がる犠牲者、ロシアの軍用車両10両…

  • 1

    やっと撃墜できたドローンが、仲間の兵士に直撃する悲劇の動画...ロシア軍内で高まる「ショットガン寄越せ」の声

  • 2

    立ち上る火柱、転がる犠牲者、ロシアの軍用車両10両を一度に焼き尽くす動画をウクライナ軍が投稿

  • 3

    EVが売れると自転車が爆発する...EV大国の中国で次々に明らかになる落とし穴

  • 4

    原因は「若者の困窮」ではない? 急速に進む韓国少…

  • 5

    新宿タワマン刺殺、和久井学容疑者に「同情」などで…

  • 6

    エジプトのギザ大ピラミッド近郊の地下に「謎めいた…

  • 7

    北米で素数ゼミが1803年以来の同時大発生、騒音もダ…

  • 8

    「EVは自動車保険入れません」...中国EVいよいよヤバ…

  • 9

    プーチン5期目はデフォルト前夜?......ロシアの歴史…

  • 10

    常圧で、種結晶を使わず、短時間で作りだせる...韓国…

  • 1

    ロシア「BUK-M1」が1発も撃てずに吹き飛ぶ瞬間...ミサイル発射寸前の「砲撃成功」動画をウクライナが公開

  • 2

    「おやつの代わりにナッツ」でむしろ太る...医学博士が教えるスナック菓子を控えるよりも美容と健康に大事なこと

  • 3

    新宿タワマン刺殺、和久井学容疑者に「同情」などできない理由

  • 4

    やっと撃墜できたドローンが、仲間の兵士に直撃する…

  • 5

    世界3位の経済大国にはなれない?インドが「過大評価…

  • 6

    立ち上る火柱、転がる犠牲者、ロシアの軍用車両10両…

  • 7

    一瞬の閃光と爆音...ウクライナ戦闘機、ロシア軍ドロ…

  • 8

    タトゥーだけではなかった...バイキングが行っていた…

  • 9

    EVが売れると自転車が爆発する...EV大国の中国で次々…

  • 10

    ヨルダン・ラジワ皇太子妃のマタニティ姿「デニム生地…

日本再発見 シーズン2
CHALLENGING INNOVATOR
Wonderful Story
MOOK
ニューズウィーク日本版別冊
ニューズウィーク日本版別冊

好評発売中