最新記事

シリア情勢

米軍撤退決定は、シリアにとってどういう意味を持つのか?

2018年12月26日(水)15時00分
青山弘之(東京外国語大学教授)

シリア政府との連携強化を模索するSDF

米軍の駐留には、SDF支配地域と55キロ地帯に対するシリア政府の圧力を回避する効果もあった。それゆえ、米軍の撤退によって、両地の勢力図が書き換えられる可能性は高いが、SDF支配地域に限って言うと、大規模な武力衝突が起きることはないだろう。なぜなら、シリア政府とSDFは、アル=カーイダ系組織を含む反体制派やイスラーム国と対決するなかで、戦略的関係を深めてきたからだ。

両者は2018年7月に代表者会合を行い、SDF支配地域にあるルマイラーン油田(ハサカ県)やタブカ・ダム(ラッカ県)の共同管理、ハサカ県産原油のシリア政府支配地域での精製、ハサカ市とカーミシュリー市(ハサカ県)での合同検問所の設置など、経済、治安面で関係を強めるようになっている。協議は、自治や分権制をめぐる意見の対立を理由に中断してはいる。シリア政府が中央集権体制のもとでの地方自治拡大を主唱する一方で、SDFは連邦制(ないしは連合制)への体制転換を求め、ロジャヴァ(西クルディスタン移行期民政局)に代わる新たな暫定自治政体「北・東シリア自治局」を樹立することで対抗したからだ。

しかし、米国の後ろ盾がなければ、SDFがこれ以上強気に出ることはできない。SDF報道官が21日、「米国がいなくなればシリア国旗を掲げる」と述べたことからも明らかな通り、トルコの軍事的脅威が高まるなか、SDFは既得権益を維持するためにシリア政府との連携強化を模索するしかないからだ。しかも、シリア政府がトルコの侵攻を黙認することの見返りを得ようとしているため、この選択はSDFに少なからぬ代償を払わせることになるだろう。

その見返りとは、イドリブ県にある反体制派支配地域である。同地をめぐっては、ロシアのヴラジミール・プーチン大統領とエルドアン大統領が2018年9月に、反体制派支配地域との境界部分に非武装地帯を設置し、(反体制派の)重火器の撤去とシャーム解放機構などの「テロ組織」の排除を進めたうえで、アレッポ市とラタキア市、そしてハマー市を結ぶ高速道路を再開することに合意した(拙稿「シリア反体制派の最後の牙城への総攻撃はひとまず回避された:その複雑な事情とは」を参照)。

イドリブ県におけるシリア政府の支配回復が、この合意の中長期的な目標だが、その成否は、トルコが和解を拒否する反体制派を同地から退去させられるかどうかにかかっている。トルコが反体制派と共にユーフラテス川以東の国境地帯で軍事作戦を行おうとしているのは、実はイドリブ県に代わる「新天地」を反体制派に用意するためでもあり、ロシアもそのことに異論を唱えてはいない。

イスラエルとイランがシリアを主戦場として対立を深める....

一方、55キロ地帯に目を向けると、米軍の存在には、イランとレバノンのヒズブッラーの増長を抑えるという効果があった。タンフ国境通行所は、バグダードとダマスカスを結ぶ主要幹線道路上に位置しており、シリア政府が同地の反体制派を放逐すれば、テヘラン、バグダード、ダマスカス、ベイルートが陸路で結ばれ、「抵抗枢軸の大動脈」が出現することになる。

こうした状況に危機感を抱いてきたのがイスラエルだ。同国は「イランの民兵」を国境地帯から遠ざけることを強く主張し、2016年以降、シリア領内への越境爆撃やミサイル攻撃を繰り返してきた。イスラエルによる挑発は、2018年9月にロシアがシリア軍にS-300長距離地対空ミサイル・システムを供与したことで控えられている。だが、米大使館のエルサレムへの移転を断行するなど、親イスラエルで知られていたはずのトランプ大統領の独断により、イスラエルは安全保障上の脅威に晒されかねないのである。

今、あなたにオススメ

関連ワード

ニュース速報

ワールド

シンガポール航空機、乱気流で緊急着陸 乗客1人死亡

ビジネス

アストラゼネカ、30年までに売上高800億ドル 2

ビジネス

正のインフレ率での賃金・物価上昇、政策余地広がる=

ビジネス

IMF、英国の総選挙前減税に警鐘 成長予想は引き上
今、あなたにオススメ
MAGAZINE
特集:スマホ・アプリ健康術
特集:スマホ・アプリ健康術
2024年5月28日号(5/21発売)

健康長寿のカギはスマホとスマートウォッチにあり。アプリで食事・運動・体調を管理する方法

メールマガジンのご登録はこちらから。
人気ランキング
  • 1

    半裸でハマスに連れ去られた女性は骸骨で発見された──イスラエル人人質

  • 2

    娘が「バイクで連れ去られる」動画を見て、父親は気を失った...家族が語ったハマスによる「拉致」被害

  • 3

    「隣のあの子」が「未来の王妃」へ...キャサリン妃の「ロイヤル大変貌」が話題に

  • 4

    米誌映画担当、今年一番気に入った映画のシーンは『…

  • 5

    EVが売れると自転車が爆発する...EV大国の中国で次々…

  • 6

    9年前と今で何も変わらない...ゼンデイヤの「卒アル…

  • 7

    ベトナム「植民地解放」70年を鮮やかな民族衣装で祝…

  • 8

    中国の文化人・エリート層が「自由と文化」を求め日…

  • 9

    服着てる? ブルックス・ネイダーの「ほぼ丸見え」ネ…

  • 10

    SNSで動画が大ヒットした「雨の中でバレエを踊るナイ…

  • 1

    半裸でハマスに連れ去られた女性は骸骨で発見された──イスラエル人人質

  • 2

    EVが売れると自転車が爆発する...EV大国の中国で次々に明らかになる落とし穴

  • 3

    立ち上る火柱、転がる犠牲者、ロシアの軍用車両10両を一度に焼き尽くす動画をウクライナ軍が投稿

  • 4

    エジプトのギザ大ピラミッド近郊の地下に「謎めいた…

  • 5

    娘が「バイクで連れ去られる」動画を見て、父親は気…

  • 6

    「EVは自動車保険入れません」...中国EVいよいよヤバ…

  • 7

    「隣のあの子」が「未来の王妃」へ...キャサリン妃の…

  • 8

    原因は「若者の困窮」ではない? 急速に進む韓国少…

  • 9

    北米で素数ゼミが1803年以来の同時大発生、騒音もダ…

  • 10

    SNSで動画が大ヒットした「雨の中でバレエを踊るナイ…

  • 1

    半裸でハマスに連れ去られた女性は骸骨で発見された──イスラエル人人質

  • 2

    ロシア「BUK-M1」が1発も撃てずに吹き飛ぶ瞬間...ミサイル発射寸前の「砲撃成功」動画をウクライナが公開

  • 3

    「おやつの代わりにナッツ」でむしろ太る...医学博士が教えるスナック菓子を控えるよりも美容と健康に大事なこと

  • 4

    EVが売れると自転車が爆発する...EV大国の中国で次々…

  • 5

    新宿タワマン刺殺、和久井学容疑者に「同情」などで…

  • 6

    やっと撃墜できたドローンが、仲間の兵士に直撃する…

  • 7

    立ち上る火柱、転がる犠牲者、ロシアの軍用車両10両…

  • 8

    世界3位の経済大国にはなれない?インドが「過大評価…

  • 9

    一瞬の閃光と爆音...ウクライナ戦闘機、ロシア軍ドロ…

  • 10

    ヨルダン・ラジワ皇太子妃のマタニティ姿「デニム生地…

日本再発見 シーズン2
CHALLENGING INNOVATOR
Wonderful Story
MOOK
ニューズウィーク日本版別冊
ニューズウィーク日本版別冊

好評発売中