最新記事

心理学

PTSD治療の第一歩は潜在記憶の直視から

Unspeakable Memories

2019年6月19日(水)17時30分
シャイリ・ジャイン(精神科医、スタンフォード大学医学大学院准教授)

mags190619_PTSD2.jpg

ジャクソンと、彼に性的虐待を受けたというロブソン DAN REED/HBO

PTSDでは、そのトラウマを思い出し、あるいは忘れようとする脳の働きが大混乱を来す。専門家はそれを記憶障害と呼ぶ。

PTSDに関わる記憶には2つのタイプがある。1つは、本人が望まないのに侵入してくる記憶。それはトラウマを追体験するような感覚で、非常に鮮明で、激しく感情を揺さぶる。人の脳は、さまざまな記憶を整理し、時間をかけて熟成させ、落ち着かせるものだが、トラウマの記憶に関してはこのプロセスが過剰に働く。

それでトラウマの記憶は消されずに残り、何週間も、何カ月、いや何年もたってから不意に頭をもたげ、強烈なリアリティーを持って襲ってくる。マリアの場合がそうだった。

こうした記憶は、本人が望まないのに繰り返しよみがえる。それを「消せないイメージ」と呼ぶ人もいる。フォードも36年前に受けた暴行時に自分が着ていた服(服の下に水着を着けていた)や飲んだもの(ビール1杯)、かかっていた音楽などの細かい記憶を「消せない」と表現していた。

自己防衛ゆえの記憶障害

これとは別に、本人が自発的に想起できるトラウマの記憶がある。それはさして感情を揺さぶることもなく、たいていはまとまりのない記憶だ。

そもそもトラウマになった出来事の最も悲惨な部分(ほんの一瞬かもしれないし、何時間も続いたかもしれない)は言葉にできない。現にマリアも、幼い日々に性的虐待を受けたことは「知って」いるが、当時の具体的なことは(少なくとも自発的には)ほとんど思い出せない。暴行を受けた夜のビールや音楽を覚えているフォードも、その後どうやって家に帰ったかは思い出せない。

保護者や近親者から深刻な、あるいは長期にわたる虐待を受けている幼児は、取りあえず現実を遮断することで自分を守ろうとする。幼児は食べ物や水、衣服や住む場所などで虐待者に依存しているから、物理的には逃げ出せない。でも現実を遮断すれば心理的に逃避できる。

しかし、この場合はトラウマを意識レベルから無理やり排除することになり、記憶の一部が失われることもある。

しかも、その防衛効果は長続きしない。時がたち、虐待者に依存する必要が減り、虐待者から距離を置いて生きられるようになった頃、突如としてトラウマの記憶がよみがえり、被害者を苦しめることになる。

性的な虐待を受けた子供たちは、往々にして最初は虐待そのものを否定したがり、虐待者の名前を言おうともしない。しかし時がたつと、言えるようになる。ロブソンとセーフチャックも、10代の頃は断固としてジャクソンを擁護していたが、成人後は曖昧になり、やがて彼に疑いの目を向けるようになった。

今、あなたにオススメ
ニュース速報

ワールド

ナワリヌイ氏殺害、プーチン氏は命じず 米当局分析=

ビジネス

アングル:最高値のビットコイン、環境負荷論争も白熱

ビジネス

決算に厳しい目、FOMCは無風か=今週の米株式市場

ビジネス

中国工業部門企業利益、1─3月は4.3%増に鈍化 
今、あなたにオススメ
MAGAZINE
特集:世界が愛した日本アニメ30
特集:世界が愛した日本アニメ30
2024年4月30日/2024年5月 7日号(4/23発売)

『AKIRA』からジブリ、『鬼滅の刃』まで、日本アニメは今や世界でより消費されている

メールマガジンのご登録はこちらから。
人気ランキング
  • 1

    ロシア「BUK-M1」が1発も撃てずに吹き飛ぶ瞬間...ミサイル発射寸前の「砲撃成功」動画をウクライナが公開

  • 2

    AIパイロットvs人間パイロット...F-16戦闘機で行われた、史上初の「ドッグファイト」動画を米軍が公開

  • 3

    一瞬の閃光と爆音...ウクライナ戦闘機、ロシア軍ドローンを「空対空ミサイルで撃墜」の瞬間映像が拡散

  • 4

    目の前の子の「お尻」に...! 真剣なバレエの練習中…

  • 5

    「おやつの代わりにナッツ」でむしろ太る...医学博士…

  • 6

    日本マンガ、なぜか北米で爆売れ中...背景に「コロナ…

  • 7

    美女モデルの人魚姫風「貝殻ドレス」、お腹の部分に…

  • 8

    19世紀イタリア、全世界を巻き込んだ論争『エドガル…

  • 9

    「気持ち悪い」「恥ずかしい...」ジェニファー・ロペ…

  • 10

    ウクライナ軍ブラッドレー歩兵戦闘車の強力な射撃を…

  • 1

    ロシア「BUK-M1」が1発も撃てずに吹き飛ぶ瞬間...ミサイル発射寸前の「砲撃成功」動画をウクライナが公開

  • 2

    「おやつの代わりにナッツ」でむしろ太る...医学博士が教えるスナック菓子を控えるよりも美容と健康に大事なこと

  • 3

    世界3位の経済大国にはなれない?インドが「過大評価」されていると言える理由

  • 4

    「世界中の全機が要注意」...ボーイング内部告発者の…

  • 5

    医学博士で管理栄養士『100年栄養』の著者が警鐘を鳴…

  • 6

    「すごい胸でごめんなさい」容姿と演技を酷評された…

  • 7

    「たった1日で1年分」の異常豪雨...「砂漠の地」ドバ…

  • 8

    日本マンガ、なぜか北米で爆売れ中...背景に「コロナ…

  • 9

    NewJeans日本デビュー目前に赤信号 所属事務所に親…

  • 10

    「誹謗中傷のビジネス化」に歯止めをかけた、北村紗…

  • 1

    韓国で「イエス・ジャパン」ブームが起きている

  • 2

    ロシアの迫撃砲RBU6000「スメルチ2」、爆発・炎上の瞬間映像をウクライナ軍が公開...ドネツク州で激戦続く

  • 3

    ロシア「BUK-M1」が1発も撃てずに吹き飛ぶ瞬間...ミサイル発射寸前の「砲撃成功」動画をウクライナが公開

  • 4

    バルチック艦隊、自国の船をミサイル「誤爆」で撃沈…

  • 5

    最強生物クマムシが、大量の放射線を浴びても死なな…

  • 6

    「おやつの代わりにナッツ」でむしろ太る...医学博士…

  • 7

    ロシアが前線に投入した地上戦闘ロボットをウクライ…

  • 8

    「燃料気化爆弾」搭載ドローンがロシア軍拠点に突入…

  • 9

    世界3位の経済大国にはなれない?インドが「過大評価…

  • 10

    1500年前の中国の皇帝・武帝の「顔」、DNAから復元に…

日本再発見 シーズン2
CHALLENGING INNOVATOR
Wonderful Story
MOOK
ニューズウィーク日本版別冊
ニューズウィーク日本版別冊

好評発売中