最新記事

イスラエル

イスラエル新政権による静かなる併合の始まり

2020年7月2日(木)15時00分
錦田愛子

イスラエルのパレスチナ自治区の併合に抗議するパレスチナ女性 REUTERS/Mohammed Salem

<7月1日、国際的関心もあまり集めず、静かな形で進み始めたのが、イスラエルによるパレスチナ自治区の併合と、占領の合法化プロセスだ......>

今年の7月1日は、さまざまな転機となった。明るいニュースから挙げるなら、新型コロナウイルスの影響で閉じられていたEU圏の国境が、日本を含む14か国に対して開かれることになった。感染の再拡大が顕著なヨーロッパへの渡航は、日本側でまだ慎重な姿勢を崩せないため、従前のような移動が解禁される日はまだ先になりそうだ。とはいえ、緊急措置として出された渡航制限の解除は、どこか安堵感を覚えるニュースだ。

他方で香港に対しては、中国の全国人民代表大会が前日の30日に国家安全維持法を成立させ、施行された。政府に対する抗議運動への参加は犯罪となり、最高で無期懲役の刑を科せられる。これを受けて既に香港の活動家の一部は国外に拠点を移したり、組織を解散するなどの動きが出ている。今後の展開について予断を許さない。

こうした中、国際的関心もあまり集めず、静かな形で進み始めたのが、パレスチナ自治区の併合と、占領の合法化プロセスだ。3度の繰り返し選挙を経てようやく今年5月に成立したイスラエルの新政権は、連立合意として、パレスチナ自治区の一部にイスラエルの主権を適用するための立法手続きを7月1日以降に開始することを掲げていた。具体的にはヨルダン川西岸地区の一部と、ヨルダン渓谷沿いの土地が対象と想定される。イスラエルの占領地を拡大し、国内法的に合法なものとするための次のステップといえる。

「歴史的な機会」を捉えて

 

こうした併合の開始をネタニヤフ首相は「1948年(のイスラエル建国)以来の歴史的な機会」と呼んでいる。トランプ政権の成立以後、エルサレムを首都と認められ、アメリカ大使館がエルサレムに移転し、イスラエルにとってはまさに「歴史的」な喜ばしい展開が続いてきた。

しかしトランプ政権は新型コロナウイルスへの対応のまずさから国民に多くの犠牲者を出し、続いて起きたジョージ・フロイド氏の暴行殺害事件は、人種差別への抗議のみならず、警察不信と社会不安をあおっている。大統領選挙において、現職のトランプ大統領と民主党候補者のバイデン氏への支持率は各々まだ4~5割で拮抗しているため、結果は見通せない。だが、万が一政権交代が起きた場合、アメリカの全面的な支持を期待しながらイスラエル政府が動けるのは、今年いっぱいということになる。

イスラエルがアメリカ大統領選挙の動向を見据えながら行動に踏み切った例は、これまでにもある。2008年の大統領選挙で民主党のオバマ氏が大統領に選ばれたとき、年末の12月から1月にかけてイスラエル軍はガザ地区に大規模な攻撃をかけた。3週間余りに及んだキャスト・リード作戦は、オバマ大統領の就任式2日前に一方的に停戦が発表された。この戦闘でパレスチナ側には1,100人以上の死者と5千人以上の負傷者が出た。オバマ大統領が就任直後、中東和平への関与に積極性を示し、6月のカイロ大学での演説で中東イスラーム世界に歩み寄りを示したことからすれば、イスラエルにとっては正しい戦略的判断だったということになるだろう。

とはいえネタニヤフ首相が言うように、占領地の併合については、今回が建国以来の転機というわけではない。イスラエルによる占領地拡大は、実際には1967年の第三次中東戦争でエルサレムを含むヨルダン川西岸地区とガザ地区を軍事占領し、1981年にはゴラン高原を併合するなど、段階的に進められてきた。今回は、39年ぶり(ゴラン高原併合以来)の大規模な領土併合ということになる。また1993年のオスロ合意締結後も、和平交渉のかたわらで入植地の建設は着々と進められてきた。イスラエルの平和運動団体ピースナウによると、西岸地区には現在、132か所の入植地(東エルサレムを除く)があり、約42万7千人のユダヤ人が住んでいる。これはイスラエルの総人口の5パーセントに満たないが、西岸地区に住むパレスチナ人約290万人から見れば、大きな脅威となる数字だ。

ヨルダン渓谷に住むユダヤ人は1万人程度とされるが、隣国ヨルダンとの境界地帯を成すため、この土地自体が軍事的要衝となる。この渓谷の併合は、第三次中東戦争後に当時のイスラエル労働相だったイガル・アロンが提唱しており、ある意味では宿願の達成といえる。長らく境界設定の際にはあまり言及されてこなかったが、今年1月のトランプ大統領による「世紀のディール」では分割案として、この渓谷地帯をイスラエル側に含めることが提案されていた。

nisikida0702a.jpgイスラエル側で建設が着手された入植地の件数の推移
(出典:イスラエルの左派平和運動組織「ピース・ナウ」のウェブサイト

今、あなたにオススメ
ニュース速報

ビジネス

ドル34年ぶり155円台、介入警戒感極まる 日銀の

ビジネス

エアバスに偏らず機材調達、ボーイングとの関係変わら

ビジネス

独IFO業況指数、4月は予想上回り3カ月連続改善 

ワールド

イラン大統領、16年ぶりにスリランカ訪問 「関係強
今、あなたにオススメ
MAGAZINE
特集:世界が愛した日本アニメ30
特集:世界が愛した日本アニメ30
2024年4月30日/2024年5月 7日号(4/23発売)

『AKIRA』からジブリ、『鬼滅の刃』まで、日本アニメは今や世界でより消費されている

メールマガジンのご登録はこちらから。
人気ランキング
  • 1

    世界3位の経済大国にはなれない?インドが「過大評価」されていると言える理由

  • 2

    医学博士で管理栄養士『100年栄養』の著者が警鐘を鳴らす「おばけタンパク質」の正体とは?

  • 3

    「世界中の全機が要注意」...ボーイング内部告発者の「爆弾発言」が怖すぎる

  • 4

    NewJeans日本デビュー目前に赤信号 所属事務所に親…

  • 5

    「誹謗中傷のビジネス化」に歯止めをかけた、北村紗…

  • 6

    「たった1日で1年分」の異常豪雨...「砂漠の地」ドバ…

  • 7

    イランのイスラエル攻撃でアラブ諸国がまさかのイス…

  • 8

    心を穏やかに保つ禅の教え 「世界が尊敬する日本人100…

  • 9

    マイナス金利の解除でも、円安が止まらない「当然」…

  • 10

    「なんという爆発...」ウクライナの大規模ドローン攻…

  • 1

    最強生物クマムシが、大量の放射線を浴びても死なない理由が明らかに

  • 2

    世界3位の経済大国にはなれない?インドが「過大評価」されていると言える理由

  • 3

    タトゥーだけではなかった...バイキングが行っていた「身体改造」の実態...出土した「遺骨」で初の発見

  • 4

    「世界中の全機が要注意」...ボーイング内部告発者の…

  • 5

    ハーバード大学で150年以上教えられる作文術「オレオ…

  • 6

    医学博士で管理栄養士『100年栄養』の著者が警鐘を鳴…

  • 7

    NewJeans日本デビュー目前に赤信号 所属事務所に親…

  • 8

    「たった1日で1年分」の異常豪雨...「砂漠の地」ドバ…

  • 9

    「毛むくじゃら乳首ブラ」「縫った女性器パンツ」の…

  • 10

    ダイヤモンドバックスの試合中、自席の前を横切る子…

  • 1

    人から褒められた時、どう返事してますか? ブッダが説いた「どんどん伸びる人の返し文句」

  • 2

    韓国で「イエス・ジャパン」ブームが起きている

  • 3

    88歳の現役医師が健康のために「絶対にしない3つのこと」目からうろこの健康法

  • 4

    ロシアの迫撃砲RBU6000「スメルチ2」、爆発・炎上の…

  • 5

    バルチック艦隊、自国の船をミサイル「誤爆」で撃沈…

  • 6

    最強生物クマムシが、大量の放射線を浴びても死なな…

  • 7

    ロシアが前線に投入した地上戦闘ロボットをウクライ…

  • 8

    「燃料気化爆弾」搭載ドローンがロシア軍拠点に突入…

  • 9

    世界3位の経済大国にはなれない?インドが「過大評価…

  • 10

    1500年前の中国の皇帝・武帝の「顔」、DNAから復元に…

日本再発見 シーズン2
CHALLENGING INNOVATOR
Wonderful Story
MOOK
ニューズウィーク日本版別冊
ニューズウィーク日本版別冊

好評発売中