最新記事

映画

『82年生まれ、キム・ジヨン』は「女性のための映画」ではない

2020年10月9日(金)16時45分
大橋 希(本誌記者)

精神のバランスを崩していくジヨン(右、チョン・ユミ)を、夫デヒョン(コン・ユ)は助けようとするが © 2020 LOTTE ENTERTAINMENT All Rights Reserved.

<韓国で強い共感と反発を引き起こし、日本でも話題を呼んだ小説『82年生まれ、キム・ジヨン』の映画版がついに公開される>

「窮屈な世の中になったね」――何の気なしにやってきたことが今は認められないと知った人が、口にしがちなせりふ。昔はもっと大らかで寛容でよかった? それが誰かの我慢や苦労の上に成り立っていた寛容だとしても? 窮屈なのはこっちだよ! と叫びたい人が大勢いると分かっていても、そう言えるだろうか。

10月9日に日本公開される韓国映画『82年生まれ、キム・ジヨン』(キム・ドヨン監督)にも、このせりふが登場する。セクハラに関する社内講習を受けた後、ある男性社員が同僚と談笑しながら「窮屈な世の中だ」とこぼすのだ。この社員は社会の変化に付いていけず、他者の痛みにも気付かない典型的な人間として描かれているが、映画の中には同じような場面がいくつも登場する。もちろんそうした言動は男性のものとは限らず、例えば主人公キム・ジヨンの義母は、ジヨンのある行動が「息子の出世を邪魔する」となじる。

『82年生まれ、キム・ジヨン』の原作は韓国で2016年に発表され、130万部のベストセラーになった同名小説。「女性の生きづらさ」をテーマにしたもので、日本でも18年の邦訳出版とともに話題となり20万部を突破した(「多くの女性の共感を呼んだ」からだが、本当はそんな共感は呼ばない社会のほうがいいのだが)。

kjy02.jpg

ジヨンは子育てをしながら再就職しようとするがなかなかうまくいかない © 2020 LOTTE ENTERTAINMENT All Rights Reserved.

ジヨン(チョン・ユミ)は、夫デヒョンと幼い娘とともにソウルで暮らす。仕事を辞めて子育てに専念する日々の中で彼女は次第に精神のバランスを崩し、母親や友人といった別の人格が時折、憑依するようになる......というのが物語の骨格。さまざまな女性が経験する理不尽や不平等、困難がモザイクのように組み合わさっているのがジヨンの人生で、だからどんな女性にとっても、自分が経験したか、誰かの経験として聞いたことのある逸話が散りばめられている。

原作の淡々とした語り口にならい、映画も終始静かなトーンで物語は進む。それはジヨンのあきらめの境地を映しているとも言えるが、チョン・ユミの頼りないたたずまいを目にするといっそう心が痛む。コン・ユ演じる夫が愛情深く、ジヨンを助けようとするのは救いだが、彼1人の力では彼女を支えきれない。長い時間をかけて社会に蓄積され、粘性の土壌のようになった性差別の意識や構造は簡単には変えられないからだ。

それでも『82年生まれ、キム・ジヨン』のような作品が、社会の意識を変えるきっかけにはなる。「分からないけど理解しよう」と思う人が増えるからだ。一方で、たとえ声高に主張をしていなくても、こうしたフェミニズム的なテーマには一定のアンチが付く。驚いたことに、韓国では原作にも映画にも、特に男性から強い批判が起きたという。チョン・ユミやコン・ユも映画への出演を決めたことでバッシングを受けた。「女性優遇」や男性への「逆差別」がある、というのが批判派の主張らしい。

今、あなたにオススメ
ニュース速報

ビジネス

出光、6.5%・700億円上限に自社株買い 全株消

ビジネス

シャープ、堺ディスプレイプロダクト堺工場の生産を停

ビジネス

ソニーG、9月30日時点の株主に株式5分割 上限2

ビジネス

ソニーGの今期、5.5%の営業増益見通し 市場予想
今、あなたにオススメ
MAGAZINE
特集:インドのヒント
特集:インドのヒント
2024年5月21日号(5/14発売)

矛盾だらけの人口超大国インド。読み解くカギはモディ首相の言葉にあり

メールマガジンのご登録はこちらから。
人気ランキング
  • 1

    やっと撃墜できたドローンが、仲間の兵士に直撃する悲劇の動画...ロシア軍内で高まる「ショットガン寄越せ」の声

  • 2

    原因は「若者の困窮」ではない? 急速に進む韓国少子化の本当の理由【アニメで解説】

  • 3

    新宿タワマン刺殺、和久井学容疑者に「同情」などできない理由

  • 4

    年金だけに頼ると貧困ライン未満の生活に...進む少子…

  • 5

    「ゼレンスキー暗殺計画」はプーチンへの「贈り物」…

  • 6

    常圧で、種結晶を使わず、短時間で作りだせる...韓国…

  • 7

    北米で素数ゼミが1803年以来の同時大発生、騒音もダ…

  • 8

    「人の臓器を揚げて食らう」人肉食受刑者らによる最…

  • 9

    ブラッドレー歩兵戦闘車、ロシアT80戦車を撃ち抜く「…

  • 10

    自宅のリフォーム中、床下でショッキングな発見をし…

  • 1

    新宿タワマン刺殺、和久井学容疑者に「同情」などできない理由

  • 2

    やっと撃墜できたドローンが、仲間の兵士に直撃する悲劇の動画...ロシア軍内で高まる「ショットガン寄越せ」の声

  • 3

    ヨルダン・ラジワ皇太子妃のマタニティ姿「デニム生地ジャンプスーツ」が話題に

  • 4

    大阪万博でも「同じ過ち」が繰り返された...「太平洋…

  • 5

    「恋人に会いたい」歌姫テイラー・スウィフト...不必…

  • 6

    常圧で、種結晶を使わず、短時間で作りだせる...韓国…

  • 7

    ロシア兵がウクライナ「ATACMS」ミサイルの直撃を受…

  • 8

    原因は「若者の困窮」ではない? 急速に進む韓国少…

  • 9

    日本の10代は「スマホだけ」しか使いこなせない

  • 10

    ウクライナ防空の切り札「機関銃ドローン」、米追加…

  • 1

    ロシア「BUK-M1」が1発も撃てずに吹き飛ぶ瞬間...ミサイル発射寸前の「砲撃成功」動画をウクライナが公開

  • 2

    「おやつの代わりにナッツ」でむしろ太る...医学博士が教えるスナック菓子を控えるよりも美容と健康に大事なこと

  • 3

    最強生物クマムシが、大量の放射線を浴びても死なない理由が明らかに

  • 4

    新宿タワマン刺殺、和久井学容疑者に「同情」などで…

  • 5

    世界3位の経済大国にはなれない?インドが「過大評価…

  • 6

    やっと撃墜できたドローンが、仲間の兵士に直撃する…

  • 7

    一瞬の閃光と爆音...ウクライナ戦闘機、ロシア軍ドロ…

  • 8

    タトゥーだけではなかった...バイキングが行っていた…

  • 9

    韓国で「イエス・ジャパン」ブームが起きている

  • 10

    ヨルダン・ラジワ皇太子妃のマタニティ姿「デニム生地…

日本再発見 シーズン2
CHALLENGING INNOVATOR
Wonderful Story
MOOK
ニューズウィーク日本版別冊
ニューズウィーク日本版別冊

好評発売中