モードで宇宙を目指したデザイナーに今再びの注目 ピエール・カルダン70年の軌跡
2014年、パリにオープンしたカルダンの美術館「Passe-Present-Futur(過去-現在-未来))」にて Charles Platiau-REUTERS
<前衛的な作風とファッションの民主化で時代を築いたデザイナーの業績を再発見する>
ピエール・カルダン(97)といえば、時代の一歩も二歩も先を行っていたフランスの伝説的デザイナー。引退して久しいが、ニューヨークのブルックリン美術館で始まった回顧展『ピエール・カルダン/未来のファッション』(来年1月5日まで)で再び注目を集めている。
カルダンはモードの民主化を先導し、その未来的なデザインで20世紀後半におけるファッション大衆化の地平を切り開いてきた。この回顧展には1950年代に始まる170点以上の作品が集結。オートクチュールやプレタポルテの服、バッグなどのアクセサリー類、写真や映像などが含まれ、その大半は彼の会社のアーカイブに秘蔵されていたものだ。
「美術の作品もオートクチュールの服も、手作りで世界に1つしかない」。そこが共通点だと、ブルックリン美術館の学芸員マ シュー・ヨコボスキーは言う。
「スケッチから始めて縫製まで、クチュールのドレスを仕上げるには彫刻や絵画と同じくらいの時間と手間がかかり、同じくら い素材にもこだわる」と、ヨコボスキーは続ける。「カルダンのクチュール作品は、同時代のアートと比べても遜色がない。『ターゲット・ドレス』はジャスパー・ジョーンズの標的を描いたシリーズに通じ、躍動感あふれるドレスはアレグザンダー・カルダーの動く彫刻『モビール』に通じる。カルダン自身、クチュールの仕事は布地による彫刻だと語っていた」
1922年にイタリアで生まれ、2歳でフランスに移住。10代で中部の町ビシーの仕立屋に弟子入りし、第二次大戦中は赤十字で働いた。45年にパリに出てジャンヌ・パカンとエルザ・スキャパレリのメゾンで働き、46年にはクリスチャン・ディオールのアトリエに参加した。
いち早く既製服に進出
50年に独立し、舞台衣装を手掛けつつオートクチュールに進出。彫刻家の感性で布を造型する才能を、幾何学への愛がさらに引き立てた。
「前世は数学者だったのではないかと思うほどだ」と、ヨコボスキーも言う。「彼のデザインは実に幾何学的で、正確な放物 線やらせんを取り入れていた。店や自宅のインテリアにもモダンな幾何学的要素を組み込み、大胆な配色を使っていた」