World Voice

コペンハーゲンで考える、生き物の話

姫岡優介|デンマーク

デンマークに来ていちばん恥ずかしかったこと

(photo by Yusuke Himeoka)

「スマートなはずだった」デート

デンマークに来たばかりのころ、「北欧女性とお付き合いしてみたい!」(というラベリング自体失礼なのだけど)と思ってマッチングアプリに張り付いていた。なかなかマッチしないので苦労したのだけれど、有料プランに切り替えて無限ライクやブースト機能などの武器を駆使してやっとマッチした女性がいた。テキストでの会話もそれなりに盛り上がったので食事にいくことに。

「よっしゃやったるで!」と気合いを入れておめかしをして、話題も考えてレストランへ。

先行してドアを開ける、ソファ席に座ってもらう、注文がだいたい同じタイミングで決まるようにする、食べる速度を合わせる、ワインを継ぎ足す時はまず相手のグラスから、、、などなど日本で学んできた「スマートな食事マナー」はしっかりとこなしたし会話も盛り上がった。残るはスマートな会計だけ。

ここで女性が化粧室に立ってくれればその間に会計を済ませられて楽なのだけど、それは叶わず一緒にレジに向かう。ところがレジでもなかなか会計をこちらに任せてくれない。「この人、本当に丁寧にいわゆる『払うフリ』をする人だな」と思いつつ「誘ったのこっちだし僕年上だし」という形で押し切って全額支払いを済ませた。

ふう、ちょっとスムーズじゃなかったけど、まぁ粗相はしなかったな。レストランでの振る舞いを思い返しながらひとまず胸を撫で下ろす。このあとバーにも付き合ってくれるというし、海外生活初のデートにしては及第点ではなかろうか。頑張ったぞ、自分。

そしてバーで彼女が言う。

「私は日本の慣習を少し知っているから大丈夫だけど、無理に食事代を出すのは『お前は俺が使うレストランで支払いをする程度の稼ぎもない』という侮蔑表現に取られ得るから気をつけてね」

iStock-1163116829.jpg

(photo from iStock)

なにも分かっちゃいない

後日、女友達にこのことについて聞くと

「払ってもらうのは確かに嬉しいけど、それに負い目を感じてしまって2軒目以降の意思決定が変わってしまう。タダで食事をさせてもらっているようでいて、自己決定権を売り渡しているようなもの。だから私は自分で払いたい」

とのこと。

食事に行った女性には改めて謝罪してそれ以降も仲良くしてもらったのだけれど、こんな風に感じる可能性があるなんて露にも思ったことはなかった。デートのような意味合いが少しでもあるなら食事代は男性が全て出すのが普通だと思っていたし、会計する場面を見せるなんて野暮だから女性が化粧室に行っている間に済ませるのがあるべき姿、とまで本気で思っていた。

相手の同意なくご馳走をするということが蔑視に当たるということはまさに青天の霹靂だったが、恥ずかしいと感じたのは実はここではない。

よくよく振り返ってみると、これまで僕は無意識のうちに「おごってあげる」ことで生じる恩のようなものも勘定に入れてデートを考えていなかっただろうか?

こちらが出すのだからある程度会話がつまらなくても盛り上がってくれていいじゃないか。2軒目に付き合ってくれてもいいじゃないか。そう思ったことは一度もないと、果たして言い切れるだろうか?

ジェンダー問題ね、もちろんちゃんと知ってますよ、常識のアップデートしてますよ、僕はリベラルですよ、みたいな顔をしておきながらデート相手にコンパニオンのような役割を期待していた。何も分かっちゃいないのだ。

おごり奢られ問題の明日

歴史や文化の違いを加味せず他国の慣習を取り上げて「だから日本は遅れているんだ!!」と喧伝するつもりは毛頭ない。彼女の発言の背景には、デンマークにおける男女間収入格差の小ささは当然あるだろう。そもそも、この問題を認識したとしても食事代を出してもらいたいという人は日本にもデンマークにもいるだろう。そこは個人の自由だ。

しかし「奢る」ことの裏では自己決定権の譲渡のようなものが起きていることを奢る側も奢られる側も全く認識していないのは、少しマズいのではないだろうかと思うようになった。

マッチングアプリOmiai2018年に実施した調査では、男性の約43%がデート代は男性が奢るべきと考えているのに対して、同意見の女性は約29%しかいない。他の項目を見てみても、総じて男性は女性の期待以上に自ら払いたがっており、男女の間にミスマッチがある。

性的同意に関する紅茶の例えが話題になったけれども、相手が求めていないのに見栄で「奢る」のは、文字通り紅茶を無理やり飲ませているようなものではないだろうかと思う。

「君との時間が楽しかったからここは奢らせてよ」という言葉はとても紳士的で優しい。けれども楽しかった時間の対価としてお金を出すというのは結局、相手をコンパニオンのように見ていることと大差ないのではなかろうか。自分が楽しかったならそれに感謝して、相手にも楽しんでもらえるように努力するのがきっと一番素直だ。

良かれと思ってやったことが相手や、巡り巡って他の誰かを結果的に不幸にしているとしたらこれほど悲しいことはない。会計をどうするかという話は場面によっては(特に最初のデートなどでは)なかなか切り出しにくいけれども、そういう会話も含めて価値観の共有だよね、というオープンな雰囲気が徐々にできてきたらいいなぁ、と思っている。

 

Profile

著者プロフィール
姫岡優介

90年生まれ、東北大→東大院。現在、デンマークはコペンハーゲンでシステム生物学の研究をしています。「生きている状態」というのはどういった意味で特別な状態なのかということを数学的に理解することが目標です。もうすこしサイエンスが多くの方にとって身近になればいいなと思っています。twitter: https://twitter.com/yhimeoka

あなたにおすすめ

あなたにおすすめ

あなたにおすすめ

あなたにおすすめ

Ranking

アクセスランキング

Twitter

ツイッター

Facebook

フェイスブック

Topics

お知らせ