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平野美紀|オーストラリア

ダーウィン空襲 ~日本軍によるオーストラリア本土攻撃

爆撃を受け、炎上する「ネプチュナ号」, 1942/2/19 撮影  Credit: Northern Territory Library , Peter Spillett Collection PH0238/0885

ハワイ真珠湾攻撃から約2ヶ月後の1942年2月19日。

オーストラリア北部の町ダーウィンに空襲警報が鳴り響いた。

最初の爆撃機が姿を現す。

機体に赤い丸が描かれたおびただしい数の敵機が、あっという間に小さな港町ダーウィンの上空を覆い尽くした。

この最初の空襲のために、チモール海洋上に停泊した4隻の旧日本軍空母から発進した攻撃隊は、爆撃機と戦闘機からなる計188機。

オーストラリア側の記録によれば、約40分間に渡る最初の爆撃で、港に停泊していた47隻の船のうち8隻が沈没。市街地へも爆撃が加えられ、いくつもの軍関連及び郵便局や病院などの公的施設が壊滅、ダーウィンの都市機能は失われた。また、同日午後にも第二次攻撃が決行され、1日で計240機以上が飛来したという。(参照

これ対し、オーストラリア側は攻撃態勢がほとんど整っておらず、わずか4機の敵機を撃破できただけであった。

日本ではほとんど知られてない「もうひとつのパールハーバー」とも言われる『ダーウィン空襲』───

ダーウィンへの空襲は、この2月19日を最初に、最後に行われた1943年11月12日まで、実に64回にも渡って行われ、初日の攻撃で日本側の搭乗員2名が戦死。オーストラリア側は300~400名が負傷、一般市民53名を含む252名の命が失われたと記録されている。(参照

(注:死者数については、過去の記録では235名などとなっているものもあるが、後の調査で判明した人がいるため、比較的最新の数字を記載)

ほとんど知られてない日本軍によるオーストラリア空襲

2月15日にシンガポールを陥落させた旧日本軍は、連合国軍が退却したオーストラリア北部の軍事基地機能を破壊して補給路を断ち、反撃に出ないようにするため、その最大拠点となっていたダーウィンに最初の攻撃を仕掛けたとされる。

この日以降、旧日本軍はダーウィンだけでなく、オーストラリア北部の軍事拠点となっていたブルームやキャサリン、タウンズビル、モスマンなどへも空襲を行い、その数は100回以上に及ぶ。

今年はダーウィン空襲79周年。ダーウィンに派兵され、生き残った元兵士3名のうち2名は、新型コロナウイルスの影響を懸念して、毎年行われている式典に参加しない意向だという。(参照

当時のことを知る人々が高齢化し、ほとんどの人が他界された今、真の歴史を語り継いでいくのは、ますます難しくなってしまうのだろう...

※2017年に書いた以下のコラムで、旧日本軍が行ったオーストラリアへの空襲がどのようなものであったかをオーストラリア側に残る記録をもとに振り返り、あの日のダーウィンの様子を時系列で書き起こしています。よかったら合わせてご一読ください。
もうひとつのパールハーバー ~知られざるダーウィン空襲

以下は、ダーウィンの後に標的となったブルーム空襲についてのコラムです。
取り残された戦士 ~知られざるブルーム空襲と先住民が守る零戦パイロットの墓

 

Profile

著者プロフィール
平野美紀

6年半暮らしたロンドンからシドニーへ移住。在英時代より雑誌への執筆を開始し、渡豪後は旅行を中心にジャーナリスト/ライターとして各種メディアへの執筆及びラジオやテレビへレポート出演する傍ら、情報サイト「オーストラリア NOW!」 の運営や取材撮影メディアコーディネーターもこなす。豪野生動物関連資格保有。在豪23年目。

Twitter:@mikihirano

個人ブログ On Time:http://tabimag.com/blog/

メディアコーディネーター・ブログ:https://waveplanning.net/category/blog/

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