World Voice

中国航海士・笈川幸司

笈川幸司|中国

第1回 酷いことを言う人もいたが、味方がいた

清華大学の観光名所・水木清華にて(写真:筆者提供)

北京に着いた最初の半年間、レベルが決して高いとは言えない私立短期大学で教鞭をとった。自分が漫才をしていて、足が震える初舞台から、ある程度演技ができるようになるまでの過程を知っていたので、教室での授業では、学生たちに発表する舞台を作っていた。

「アイウエオ」を10回、私なら4秒5秒で言える。学生たちは平均20秒以上かかった。しかも、相手を不快にさせるようなおかしな発音で。理由は、日本語を声に出すトレーニングをしてこなかったからだ。

練習の成果で自信をつけたからか、放課後も積極的に私のところにやってきて、私と日本語で話そうとする学生が多かった。

中国語で「素質」とは、人の総合力をいうのだろうか。ある日、ある先生と、日本語が上手になってきた学生について話していたところ、突然こんなことを言われた。

「素質の低い学生だけが、あなたの授業についていける」

学生のこともディスっているし、そう言わせる私にも問題があったのだろうかと悩んだ。

前回、中国では言いたいことを自由に言えるという話をした。放課後、私のところで補習をしていたある学生が、私を喜ばせようとしてか、こんなことを言った。

「○○先生は、笈川先生を私たちに紹介したくないです。なぜなら、笈川先生を私たちに紹介するという行為は、自分の無能さを学生に暴露するようなものだからです」

たまに直接私に酷いことを言う先生がいた。しかし、中国人は十人十色だ。

それから半年後、私は清華大学で教鞭を取るようになった。周囲は口々に言った。「たった一歩で天に登った」と。ある人はこういってかばった。「嫉妬深い人間を相手にするな。まっすぐ飛んでいけ」と。

その後、清華大学と北京大学で10年教鞭をとった。教え子が活躍すると、こんなことも言われた。「勘違いしないで。あなたが優秀なんじゃない。優秀なのは学生です。誰が教師になってもそれぐらいの実績は挙げられます」と。直接私にいう人がいるということは、影でいう人もいるだろう。口に出さなくても心で思う人ならもっと多いかもしれない。私の教え子にそのようなことを言って、泣かせた先生もいたそうだ。

でも、味方は学生だった。

「現場を知らない人がそういうだけ。現場を見たら、何も言えない」

これは学生たちの共通の意見だった。しかし、ある学生が反対した。「私は賛成できない。なぜなら、現場を見ても、先生のどこが良くて、どんな工夫をされていて、その工夫がどんな影響を与えているか、わかる人も感じられる人もいないからだ」と。

それも含めて、味方は学生だった。

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香山に登る途中、即興スピーチ大会をした(写真:筆者提供)
 

Profile

著者プロフィール
笈川幸司

1970年埼玉県所沢市生まれ。中国滞在20年目。北京大学・清華大学両校で10年間教鞭をとった後、中国110都市396校で「日本語学習方法」をテーマに講演会を行う(日本語講演マラソン)。現在は浙江省杭州に住み、日本で就職を希望する世界中の大学生や日本語スキル向上を目指す日本語教師向けにオンライン授業を行っている。目指すは「桃李満天下」。

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