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中国航海士・笈川幸司

笈川幸司|中国

第2回 スマホのない時代、北京で中国人のやさしさを知った

北京大学西門にて(写真:筆者提供)

自己紹介がわりに、これまで中国でやってきたこと、今やっていること、これからやりたいと考えていることを書いていこうと思う。

初めて中国の大地に降り立ったのは1994年冬。粉雪が降る街並みは灰色で、現在の発展ぶりを想像するには酷とも言える状況だった。

テレビをつけると反日ドラマが放送されていたが、周囲にいる人々はやさしかった。私を日本人だと知ると、「高倉健を知っているぞ」「山口百恵はきれいだな」と古い情報ではあったが、好意的に思ってくれていることがわかった。

スマホのない時代。北京に留学していた一年半、日本からの情報はほぼシャットアウト状態。辛かったが、中国の人たちのやさしさを知った途端、不便な生活を苦とも思わなくなった。日本では、ニュースなどを通じ、いろいろ言われているのを知っている。しかし、中国人は日本人より自由だと思う。「中国人は言いたいことも言えない」などと批判されているようだが、政治より大事なプライベートな生活や社交の場において、他人を気にせず言いたいことを言えないのは日本人の方だと思う。日本では「幼い子供といると苦しい!」「家事なんか面倒だから旦那にやらせりゃいいんだ。こっちは生理だし」なんてことは、匿名でなければ書けないかもしれないが、中国では、ママ友同士で当たり前のように会話している。

2001年夏。留学時代の彼女と結婚するために北京に渡った。着いた翌日、別れを切り出された。当時のショックは計り知れないものだったが、他のネット記事でこの話題を知った読者数人から「実は私もそうだった。辛かった。惨めだった。だから、笈川さんに親近感を抱いている」といったメッセージをもらった。もしかしたら、これは大して珍しいことでもないのかもしれない。ただ、『捨てる神あれば拾う神あり』で、彼女のご両親によくしてもらった。特にお母さんには、中国語の勉強から食事の面倒、週末のジョギングまで本当にお世話になった。中国人が口癖にしている「中国人は色々いるから」を体現したエピソードだと思う。十人十色という言葉があるが、外国人から見ると、日本人は十人十色に見えないらしい。でも、中国人は確かに十人十色だ。

日本では、売れない芸人だった。ただ、腕もなく、やる気もなかった。食べていけないことを理由に、中国に逃げた。

逃げたのは正解だと思っている。日本社会に馴染めない日本の若者は少なくないだろう。息苦しく思っている人は少なくないだろう。頑張ってみて、「これは無理だな!」と限界を感じたら、どこかに逃げたら良いと思う。

ただ、私の場合、逃げた途端に別れを切り出されたので、精神を病んだ。でも、引きこもらなかった。そこがターニングポイントだった。

大学さえ卒業していれば、日本語教師の資格がなくても中国の大学で教えることができた時代。午前中だけ仕事があり、午後と夜は自由な時間が持てる。婚約者のお母さんが紹介してくれた日本語教師の仕事に就くことにした。教室に入ると、学生たちが待っていてくれた。

教室では、学生たちと一緒に大声で朗読した。それは、深夜の高速を思い切りドライブするような感覚に近く、一切の悩みを忘れることができた。

 

Profile

著者プロフィール
笈川幸司

1970年埼玉県所沢市生まれ。中国滞在20年目。北京大学・清華大学両校で10年間教鞭をとった後、中国110都市396校で「日本語学習方法」をテーマに講演会を行う(日本語講演マラソン)。現在は浙江省杭州に住み、日本で就職を希望する世界中の大学生や日本語スキル向上を目指す日本語教師向けにオンライン授業を行っている。目指すは「桃李満天下」。

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