コラム

障害をさらけ出した番組の勇気

2016年05月24日(火)18時50分

<89年にイギリスBBCで放送された発達障害「トゥレット症候群」の少年ジョン・デビッドソンのドキュメンタリー番組は、障害に対する社会の理解を広めた。その番組がなかったら、現在も筆者は障害者に対する共感を持てていなかったかもしれない>(写真は2009年にBBCの取材を受けたジョン・デビッドソン)

 先日、ジョギングをしているときに不愉快な目に出くわした。ある男性がわけもなく、僕のいる方につばを吐いてきたのだ。

 一緒にいた母親と思われる女性が彼の体をつかんで道から顔をそむけさせたので、ちょうど僕が通り過ぎる瞬間に男性がもう一度吐いた唾は、茂みにかかって事なきを得た。

 一瞬の出来事だったが、この女性が何も動揺していない様子は見て取れた。これが予想外の出来事なら、彼女はギョッとした顔をしていただろう。だがそうではなかった。

【参考記事】「イギリス人は階級が9割」......じゃない!

 この一件で、思い出したのはジョン・デビッドソンのことだ。その日ずっと僕は彼のことを考え続け、彼について伝えなければという思いに駆られた。

 僕と同年代のイギリス人のほとんどは、ジョンが誰だか知っている。彼がテレビ番組に出演していたのは25年以上も前だったのを考えれば、驚くべきことだ。

 ジョンはトゥレット症候群の患者を描いたドキュメンタリー番組の出演者だった。トゥレット症候群とは、程度はさまざまだが、不随意のチックや奇声を上げる、(まれに)卑猥な言葉を叫ぶ、唾を吐くといった行動が出現する障害だ。

 この番組で、15歳のジョンは学校で教室を混乱の渦に巻き込み、店で母親に暴言を吐き、叫びながら町を歩き回り、図書館で騒音を出す、といったあらゆる症状を見せる。不適切な行動であればあるほど、ジョンは強い衝動に駆られるようだった。
 
 それは明らかに扱いにくいテーマだけに、制作に勇気のいるドキュメンタリーだった。ジョンの振舞いは衝撃的で理解し難いけど、番組はそれを説明しようとあらゆる努力を惜しまなかった。

 さらに勇気が必要だったのは、ジョンと家族だっただろう。ジョンの厄介な問題をすべて、全国の視聴者の前でさらけ出したのだから。大げさじゃなく、ジョンの番組の前にイギリスでトゥレット症候群について耳にしたことがある人はほとんどおらず、ジョンの後にはほぼ誰もが知るようになった。これは、テレビ史に残る作品になった。

20年後に気付いた彼らの痛み

 恥ずかしい話だが、ばかなティーンエージャーだった僕や友達は当時、本当にわかっていなかった。僕らはジョンのことを、天才的な反逆児みたいに思っていた。行く先々で混乱を引き起こしながら、どうしようもないやつだからしょうがない、と皆に思わせることで、何のおとがめも受けずにいられるのだ。

 その後20年以上経ってDVDが発売されるまで、この番組を再び見る機会はなかった。ジョンの味わっていた明らかな苦しみを、10代の僕が見逃していたのがまったく信じられない。

プロフィール

コリン・ジョイス

フリージャーナリスト。1970年、イギリス生まれ。92年に来日し、神戸と東京で暮らす。ニューズウィーク日本版記者、英デイリー・テレグラフ紙東京支局長を経て、フリーに。日本、ニューヨークでの滞在を経て2010年、16年ぶりに故郷イングランドに帰国。フリーランスのジャーナリストとしてイングランドのエセックスを拠点に活動する。ビールとサッカーをこよなく愛す。著書に『「ニッポン社会」入門――英国人記者の抱腹レポート』(NHK生活人新書)、『新「ニッポン社会」入門--英国人、日本で再び発見する』(三賢社)、『マインド・ザ・ギャップ! 日本とイギリスの〈すきま〉』(NHK出版新書)、『なぜオックスフォードが世界一の大学なのか』(三賢社)など。

今、あなたにオススメ
ニュース速報

ビジネス

米CPI、4月は前月比+0.3%・前年比+3.4%

ワールド

米大統領選、バイデン氏とトランプ氏の支持拮抗 第3

ビジネス

大手3銀の今期純利益3.3兆円、最高益更新へ 資金

ワールド

ニューカレドニアの暴動で3人死亡、仏議会の選挙制度
今、あなたにオススメ
MAGAZINE
特集:インドのヒント
特集:インドのヒント
2024年5月21日号(5/14発売)

矛盾だらけの人口超大国インド。読み解くカギはモディ首相の言葉にあり

メールマガジンのご登録はこちらから。
人気ランキング
  • 1

    原因は「若者の困窮」ではない? 急速に進む韓国少子化の本当の理由【アニメで解説】

  • 2

    北米で素数ゼミが1803年以来の同時大発生、騒音もダブルの「大合唱」

  • 3

    プーチン5期目はデフォルト前夜?......ロシアの歴史も「韻」を踏む

  • 4

    アメリカからの武器援助を勘定に入れていない?プー…

  • 5

    新宿タワマン刺殺、和久井学容疑者に「同情」などで…

  • 6

    やっと撃墜できたドローンが、仲間の兵士に直撃する…

  • 7

    ロシア国営企業の「赤字が止まらない」...20%も買い…

  • 8

    英供与車両から巨大な黒煙...ロシアのドローンが「貴…

  • 9

    ユーロビジョン決勝、イスラエル歌手の登場に生中継…

  • 10

    「ゼレンスキー暗殺計画」はプーチンへの「贈り物」…

  • 1

    新宿タワマン刺殺、和久井学容疑者に「同情」などできない理由

  • 2

    やっと撃墜できたドローンが、仲間の兵士に直撃する悲劇の動画...ロシア軍内で高まる「ショットガン寄越せ」の声

  • 3

    大阪万博でも「同じ過ち」が繰り返された...「太平洋戦争の敗北」を招いた日本社会の大きな弱点とは?

  • 4

    原因は「若者の困窮」ではない? 急速に進む韓国少…

  • 5

    ヨルダン・ラジワ皇太子妃のマタニティ姿「デニム生地…

  • 6

    「恋人に会いたい」歌姫テイラー・スウィフト...不必…

  • 7

    北米で素数ゼミが1803年以来の同時大発生、騒音もダ…

  • 8

    常圧で、種結晶を使わず、短時間で作りだせる...韓国…

  • 9

    ロシア兵がウクライナ「ATACMS」ミサイルの直撃を受…

  • 10

    日本の10代は「スマホだけ」しか使いこなせない

  • 1

    ロシア「BUK-M1」が1発も撃てずに吹き飛ぶ瞬間...ミサイル発射寸前の「砲撃成功」動画をウクライナが公開

  • 2

    「おやつの代わりにナッツ」でむしろ太る...医学博士が教えるスナック菓子を控えるよりも美容と健康に大事なこと

  • 3

    最強生物クマムシが、大量の放射線を浴びても死なない理由が明らかに

  • 4

    新宿タワマン刺殺、和久井学容疑者に「同情」などで…

  • 5

    やっと撃墜できたドローンが、仲間の兵士に直撃する…

  • 6

    世界3位の経済大国にはなれない?インドが「過大評価…

  • 7

    一瞬の閃光と爆音...ウクライナ戦闘機、ロシア軍ドロ…

  • 8

    タトゥーだけではなかった...バイキングが行っていた…

  • 9

    ヨルダン・ラジワ皇太子妃のマタニティ姿「デニム生地…

  • 10

    どの顔が好き? 「パートナーに求める性格」が分かる…

日本再発見 シーズン2
CHALLENGING INNOVATOR
Wonderful Story