コラム

北方領土問題でロシアが課した「新たなルール」 日本の対応は

2017年06月19日(月)17時53分

もちろん、このような揺さぶりをかけたところで日米同盟を瓦解させられるはずがないことはロシア側も承知のはずである。

したがって、ロシア側の狙いは、北方領土交渉に関する新たな交渉力を得ることであろう。

プーチン大統領訪日を契機として、日露間では経済協力に向けた前進が始まったものの、ロシア側としての最適解は経済協力と領土問題を切り離しておくこと、つまり経済協力が進展してもそれは北方領土返還に向けた前提条件とはなり得ないという構図の提示である。

そのために持ち出されてきたのが、北方領土は東アジアの米軍事プレゼンス全体に対する防衛線であるというロジックであったと考えられる。

もうひとつの側面としては、中国を対日交渉上のカードとして利用することが挙げられる。

安倍政権の対露接近の背景には、北方領土問題解決への意欲に加えて中国への脅威認識が存在することはよく指摘されてきた。

しかし、このような日本側の事情はロシア側もよく理解しており、北方領土問題がTHAAD配備を巡る米中韓の駆け引きともリンクするという構図を作り出せば日本に対する強力な牽制球ということに(ロシア側の論理では)なる。

特にロシアが懸念しているのは、ロシアがあくまでも経済協力と領土問題の分離にこだわる場合、経済協力に関する日本側のインセンティブが低下すること(ロシア版「食い逃げ」論)であろう。
そこで、日露の経済協力が停滞すれば、ロシアが安全保障上、中国へとさらに傾斜する可能性(この場合で言えばTHAAD配備問題に関する中国の強硬姿勢への同調)を日本に対する人質として利用するというのがロシア側の戦略であろう。

日本はどのように臨むか

いずれにしても、ロシア側が切実に必要としている経済協力を行うことで北方領土問題に関する妥協が得られるとの見込みはさらに狭まってきた。

日本側がロシアの論理を呑む必要はないが、領土を実行支配しているのがロシア側である以上、ロシアの投げかけてきた新たな「ルール」にどのように対処するかは今後の対露交渉上の大問題となろう。

ひとつの選択肢と考えられるのは、これを黙殺するというものである。

ここでは技術的詳細には踏み込まないが、韓国のTHAADや日本に配備される日米のミサイル防衛システムがロシアの核抑止力を損なわないことは明らかであり(そもそもロシアはバイカル湖よりも東側に大陸間弾道ミサイルを配備していない)、ロシアの論理に乗って北方領土が東アジアの安全保障全体とリンクしているという構図は受け入れるべきではない。

ただ、前述のように、日本は弱みを握られている側でもある。

その中で、ロシア側が上げてきたハードルをいかにして下げさせるか(あるいはハードルを上げてきた事実そのものをいかにキャンセルするか)が日本に求められる対応と言える。

※当記事はYahoo!ニュース 個人からの転載です。

プロフィール

小泉悠

軍事アナリスト
早稲田大学大学院修了後、ロシア科学アカデミー世界経済国際関係研究所客員研究などを経て、現在は未来工学研究所研究員。『軍事研究』誌でもロシアの軍事情勢についての記事を毎号執筆

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