コラム

「物価水準の財政理論」は正しいが不適切

2017年01月23日(月)15時00分

 ケインズが穴を掘って、それを埋めてもやる必要がある、と言ったのは、25%の失業率、実質的な失業率は50%を越えており、実際の物価は半分以下に下落するような危機的な状況においては、どんな犠牲を払っても、これをとめる必要があった。そのためには、一見無駄な公共事業でもやったほうがいいのである。だから、役に立つ公共事業を財政赤字を気にせずやれば、経済は必ずよくなったのである。

 現在は、失業はほば解消、実質完全雇用、むしろ人手不足、需要不足ではなく、経済の問題点があるとすれば、長期的な成長力低下、そのためには供給サイドか、需要サイドか、という議論はあるが、需要サイドにあるにしても、すべての犠牲を払って物価を上げる必要があるということはあり得ない。

 名目金利がゼロになってしまい、完全雇用、あるいは中立的な実質金利と言われる望ましい実質金利がたとえマイナスに低下していたとしても(これ自体議論が大きく分かれるところだが)、実質金利をマイナスにするにはインフレにするしかないから、すべての犠牲を払ってインフレにするべきかどうかは自明ではない。

 正確に言えば、すべての犠牲を払うのはほぼ常に間違っているから、実質金利をマイナスにすることによるメリットと、財政赤字が拡大することのデメリットを比較して決めないといけない。

 そのためには、中立実質金利がマイナスであるかどうかを議論する必要があるし、そもそもインフレ率が2%というのが最も望ましい水準であるかどうか、現在の経済では確かではなく、また、2%ではなく1%であることのデメリットが、財政赤字の恒久的な拡大のデメリットとどちらが大きいか、比較考量は絶対に必要である。

財政支出より減税を

 さらに、マクロだけでなく、ミクロの効率性も重要で、ほとんどのエコノミストは政府の効率性に懐疑的なのだから、財政支出を増やすことは無駄であると考えているはずで、やるなら減税であり、しかし、減税をやるのであれば、どのような減税にすべきか、それが将来の年金不安などをもたらさないようにはどうするか、考える必要がある。

 だから、物価水準の財政理論からのメッセージを現在の経済に、とりわけ日本で実行するのは、間違っており、極めて危険なのである。

 ただし、金融緩和よりも財政赤字拡大の方が物価上昇には効果がある、という点は正しく、物価を上げることが重要であれば、量的緩和の縮小が可能であれば、それとバランス可能な範囲で、減税、あるいは増税を先送り、縮小することが正しい、ということになろう。

 さらに、物価を上げることがそこまで重要でない、と考えれば、財政赤字拡大による国債市場の崩壊リスクを犯さずに、増税先送りで、量的緩和を淡々と縮小する、というのが現実的なポリシーミックスであり、実際の日銀はそれに近いところを目指しており、シムズの提案よりは、現在の日銀の政策の方がましであると思われる。

*この記事は「小幡績PhDの行動ファイナンス投資日記」からの転載です

プロフィール

小幡 績

1967年千葉県生まれ。
1992年東京大学経済学部首席卒業、大蔵省(現財務省)入省。1999大蔵省退職。2001年ハーバード大学で経済学博士(Ph.D.)を取得。帰国後、一橋経済研究所専任講師を経て、2003年より慶應大学大学院経営管理研究学科(慶應ビジネススクール)准教授。専門は行動ファイナンスとコーポレートガバナンス。新著に『アフターバブル: 近代資本主義は延命できるか』。他に『成長戦略のまやかし』『円高・デフレが日本経済を救う』など。

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