コラム

変化するチベットと向き合う個人を鮮やかに描く:『草原の河』

2017年04月28日(金)14時00分

改革開放以後の中国の現状を背景として、3世代の家族の複雑な関係が描き出される『草原の河』。(C)GARUDA FILM

<チベット高原で半農半牧の生活を営む3世代の家族の複雑な関係が描き出される、日本で初めてのチベット人監督による劇場公開作品>

ソンタルジャ監督『草原の河』は、日本で初めてのチベット人監督による劇場公開作品になる。チベット人が自分たちの言葉で表現するチベット映画の先駆者ペマ・ツェテンと親しかったソンタルジャは、彼に勧められて映画の道に進み、美術監督や撮影監督としてチベット映画人の第1世代の重要なメンバーとなり、『陽に灼けた道』(11)で監督デビューを果たした。

シンプルに見えるが、明らかに平凡なリアリズムとは違う

ソンタルジャにとって長編第2作となるこの『草原の河』では、改革開放以後の中国の現状を背景として、3世代の家族の複雑な関係が描き出される。舞台は監督の故郷でもある青海省海南チベット族自治州。主人公の一家は、海抜3000メートルを超える高原で半農半牧の生活を営んでいる。

だが、その家に祖父の姿はない。文革で還俗を余儀なくされた祖父は、改革開放の時代になって再び僧衣を着て、村から離れた洞窟にこもり、修行に励んでいる。そんな祖父は村人たちから"行者さま"と呼ばれ、尊敬されているが、父親のグルは、4年前のある出来事がわだかまりとなり、その祖父を許せないでいる。まだ乳離れができない6歳の娘ヤンチェン・ラモは、母親のお腹に赤ちゃんがいることを知り、愛情を奪われるような不安に駆られていく。

この物語では嘘がポイントになる。春のはじめ、行者さまの具合が悪いことを知った村人たちがこぞって見舞いに行くなか、グルも妻に急かされ、娘を連れて渋々洞窟に向かう。だが彼は、娘を会わせただけで、自分は洞窟の外で待っていた。しかも、行きの道で河を渡るときに氷が割れ、バイクとともに見舞いの品も水浸しになり、渡すことができなかったが、妻には何事もなかったかのように振る舞う。

一方、娘のヤンチェンは、父親がチベット人のお守りである天珠を見つけたから、赤ちゃんができたと聞かされ、その天珠を密かに隠し、父親に尋ねられても知らないと嘘をつく。

そんな物語はシンプルに見えるが、明らかに平凡なリアリズムとは違う。ちなみに、ソンタルジャは、影響を受けた映像作家として、ホウ・シャオシェン、エドワード・ヤン、アンドレイ・タルコフスキー、アッバス・キアロスタミ、イングマール・ベルイマンらの名前を挙げている。

【参考記事】五体投地で行く2400キロ。変わらない巡礼の心、変わりゆくチベット

この映画で主人公たちを演じているのは素人の俳優だ。ソンタルジャは、彼らの台詞を最小限にとどめ、特別な演技も要求していない。彼は、俳優たちに映画の内容を教えず、脚本も見せず、俳優たちは撮影が終わるまでこの映画が何を伝えたいのかまったく知らなかったという。にもかかわらずそのドラマからは、複雑で豊かな感情が浮かび上がってくる。

プロフィール

大場正明

評論家。
1957年、神奈川県生まれ。中央大学法学部卒。「CDジャーナル」、「宝島」、「キネマ旬報」などに寄稿。「週刊朝日」の映画星取表を担当中。著書・編著書は『サバービアの憂鬱——アメリカン・ファミリーの光と影』(東京書籍)、『CineLesson15 アメリカ映画主義』(フィルムアート社)、『90年代アメリカ映画100』(芸術新聞社)など。趣味は登山、温泉・霊場巡り、写真。
ホームページ/ブログは、“crisscross”“楽土慢遊”“Into the Wild 2.0”

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