コラム

ベルリン・フィルの次期音楽監督人事を考える

2015年06月02日(火)12時51分

 ただ、ネルソンズの音楽は、物凄い深みというのとは違います。ノリの良いライブをやるだろうというのは、とても分かるのですが、分かりやすくてカッコいい音楽、という以上の大胆さとか、前衛精神、開拓精神、知的な表現の構造設計ということでは今ひとつという印象があります。得意なのが、ショスタコーヴィチとドボルザークというのも、BPOのシェフとしては少しズレた印象です。

 BPOの場合は、英語を中心に世界中にビデオ・ストリーミングで音楽に関するメッセージを発信するのが当たり前になっていますが、英語でのコミュニケーションや、メッセージの知的な切れ味というのも不安材料です。後は、ボストン交響楽団が前任のレヴァインが健康問題でいい仕事ができない空白期間があった後に、このネルソンズを音楽監督として大きな期待とともに招聘しているという経緯がネックになると思います。ここでボストンを蹴ってBPOに行くというのは、ちょっと難しいのではと思われるからです。

 ティーレマンは、立派な体格で、指揮ぶりも堂々としていて「いかにもドイツのマエストロ」という風情なのですが、この人の音楽は少々変わっています。全体はドイツ=オーストリア系の正統音楽で、無難なのですが、細かなところで「変わった表現」をしたがるのです。異常に遅いテンポを取ったり、突然テンポを変えたり、聴かせどころをわざと冷淡に処理したりと、それが新しさと言えばそうなのかもしれませんが、全体の構成感を左右する設計レベルからの新しさというのは、余り感じられないのです。この人の場合も、スッタモンダの挙句に前任のルイージを追い出すようにしてドレスデンのシュターツカペレという名門の指揮者になったばかりですから、転出は難しいのではないかと思います。

 私が可能性を感じているのは、この2人ではなくカナダ人のヤニック・ネゼ=セガンという40歳の指揮者です。現在、フィラデルフィア、モントリオール、ロッテルダムの3つのオーケストラを掛け持ちしながら、MET(ニューヨークのメトロポリタン・オペラ)のオペラでの指揮でも高評価を得るなど、非常に精力的に活動している人です。しかも、3つのオーケストラで既に実績を挙げていますから転出できる可能性はあります。

 ネゼ=セガンの強みは彼の知性です。とにかく、楽譜を徹底的に検討して過去になかった解釈を作ってくる、そして的確な言葉(英仏の完全バイリンガル)で楽員や聴衆にメッセージを伝える、それが彼のスタイルであり、世界を駆け巡りながら各地で水準以上の演奏ができているのは、そうした彼の知的な生産性の高さによるのだと思います。故ジュリーニの弟子で、マーラーとブルックナーの楽曲研究に余念がないばかりか、フランス系も得意だし、20代の時には合唱指揮者の勉強も集中的に行うなど、守備範囲の広さも魅力です。

 これから最終的な人選が決まるまで、この3人の仕事ぶりを比較しながら人事の予想をするというのが、音楽ファンの究極の楽しみです。

プロフィール

冷泉彰彦

(れいぜい あきひこ)ニュージャージー州在住。作家・ジャーナリスト。プリンストン日本語学校高等部主任。1959年東京生まれ。東京大学文学部卒業。コロンビア大学大学院修士(日本語教授法)。福武書店(現ベネッセコーポレーション)勤務を経て93年に渡米。

最新刊『自動運転「戦場」ルポ ウーバー、グーグル、日本勢――クルマの近未来』(朝日新書)が7月13日に発売。近著に『アイビーリーグの入り方 アメリカ大学入試の知られざる実態と名門大学の合格基準』(CCCメディアハウス)など。メールマガジンJMM(村上龍編集長)で「FROM911、USAレポート」(www.jmm.co.jp/)を連載中。週刊メルマガ(有料)「冷泉彰彦のプリンストン通信」配信中。

今、あなたにオススメ
ニュース速報

ワールド

EXCLUSIVE-トルコ、予算削減額は予想上回る

ビジネス

米金利維持が物価目標達成につながる=クリーブランド

ビジネス

米4月輸入物価、前月比0.9%上昇 約2年ぶり大幅

ビジネス

米鉱工業生産、4月製造業は0.3%低下 市場予想下
今、あなたにオススメ
MAGAZINE
特集:インドのヒント
特集:インドのヒント
2024年5月21日号(5/14発売)

矛盾だらけの人口超大国インド。読み解くカギはモディ首相の言葉にあり

メールマガジンのご登録はこちらから。
人気ランキング
  • 1

    立ち上る火柱、転がる犠牲者、ロシアの軍用車両10両を一度に焼き尽くす動画をウクライナ軍が投稿

  • 2

    羽田空港衝突事故で「日航の奇跡」を可能にした、奇跡とは程遠い偉業

  • 3

    アメリカはどうでもよい...弾薬の供与停止も「進撃のイスラエル」は止まらない

  • 4

    老化した脳、わずか半年の有酸素運動で若返る=「脳…

  • 5

    半分しか当たらない北朝鮮ミサイル、ロシアに供与と…

  • 6

    総額100万円ほどの負担増...国民年金の納付「5年延長…

  • 7

    2023年の北半球、過去2000年で最も暑い夏──温暖化が…

  • 8

    共同親権法制を実施するうえでの2つの留意点

  • 9

    プーチン5期目はデフォルト前夜?......ロシアの歴史…

  • 10

    仰向けで微動だにせず...食事にありつきたい「演技派…

  • 1

    新宿タワマン刺殺、和久井学容疑者に「同情」などできない理由

  • 2

    やっと撃墜できたドローンが、仲間の兵士に直撃する悲劇の動画...ロシア軍内で高まる「ショットガン寄越せ」の声

  • 3

    立ち上る火柱、転がる犠牲者、ロシアの軍用車両10両を一度に焼き尽くす動画をウクライナ軍が投稿

  • 4

    大阪万博でも「同じ過ち」が繰り返された...「太平洋…

  • 5

    原因は「若者の困窮」ではない? 急速に進む韓国少…

  • 6

    北米で素数ゼミが1803年以来の同時大発生、騒音もダ…

  • 7

    常圧で、種結晶を使わず、短時間で作りだせる...韓国…

  • 8

    ロシア兵がウクライナ「ATACMS」ミサイルの直撃を受…

  • 9

    プーチン5期目はデフォルト前夜?......ロシアの歴史…

  • 10

    「終わりよければ全てよし」...日本の「締めくくりの…

  • 1

    ロシア「BUK-M1」が1発も撃てずに吹き飛ぶ瞬間...ミサイル発射寸前の「砲撃成功」動画をウクライナが公開

  • 2

    「おやつの代わりにナッツ」でむしろ太る...医学博士が教えるスナック菓子を控えるよりも美容と健康に大事なこと

  • 3

    最強生物クマムシが、大量の放射線を浴びても死なない理由が明らかに

  • 4

    新宿タワマン刺殺、和久井学容疑者に「同情」などで…

  • 5

    やっと撃墜できたドローンが、仲間の兵士に直撃する…

  • 6

    世界3位の経済大国にはなれない?インドが「過大評価…

  • 7

    一瞬の閃光と爆音...ウクライナ戦闘機、ロシア軍ドロ…

  • 8

    タトゥーだけではなかった...バイキングが行っていた…

  • 9

    立ち上る火柱、転がる犠牲者、ロシアの軍用車両10両…

  • 10

    ヨルダン・ラジワ皇太子妃のマタニティ姿「デニム生地…

日本再発見 シーズン2
CHALLENGING INNOVATOR
Wonderful Story