コラム

WTOにおける知的財産権を巡る新たな戦いは始まったばかり

2022年06月24日(金)11時50分

WTOオコンジョイウェアラ事務局長 Fabrice Coffrini/REUTERS

<今回のWTO閣僚級会議は知的財産権に将来を巡る激論が交わされたが、今回の合意は非常に危険な内容を含んだものと考えている......>

6月12日~17日に第12回WTO閣僚会議がスイス・ジュネーブで開催されて、日本からも経済産業、農林水産、外務の各省庁から副大臣が出席した。WTO閣僚会議は、隔年開催されるWTO加盟国の貿易担当大臣による会合であり、第11回閣僚会議以来約4年半ぶりの会合となった。

日本政府のHPを見ると、当たり障りない内容が記載されているが、今回のWTO閣僚級会議は知的財産権に将来を巡る激論が交わされた場であった。なぜなら、来月7月6~7日にWTO知的所有権の貿易関連の側面に関する(TRIPS)協定理事会が予定されており、それまでに新型コロナウイルス問題に対する特許を巡る一連の議論に決着をつける必要があったからだ。

インドと南アフリカが主導した新型コロナウイルスに関する治療薬やワクチンなどの製薬会社の特許を一部放棄させる取り組みは、EUが事実上主導する形で展開した妥協案をベースとしてWTO合意として部分的に実現する運びとなった。

近代的な財産権を侵害する無理筋の取り組みが実現

しかし、筆者は今回の合意は非常に危険な内容を含んだものと考えている。合意内容によると、今後5年間は例外的に適格国が新型コロナワクチンの輸出に強制実施権を利用できる手続きが認められることになった。特許免除を求めていたい市民団体などからは同合意は不十分として批判されているが、筆者はWTOで近代的な財産権を侵害する無理筋の取り組みが部分的でも実現したことについて強い懸念を持っている。

米国下院歳出委員会貿易小委員会トップのエイドリアン・スミス議員は同合意に対し、「知財を放棄したところで、ワクチンの供給に関するサプライチェーン問題は何も解決しない、将来の革新的なワクチンや治療法に萎縮効果をもたらす可能性のある危険な前例だ」という趣旨の声明を公表している。これは全くその通りだと言えるだろう。

企業が研究開発のために投資した資産を放棄させることは、企業に将来に渡る新たな研究開発努力を促すインセンティブを低下させることは明白だ。それは新たなパンデミック発生時に本来は命を救えるはずの医薬品が開発されなくなることを意味する。

投資に対するリターンが存在するからこそ、様々なイノベーションが促進されて、従来までは考えられなかった革新的なワクチンや治療薬が開発されるのだ。したがって、製薬会社を利益独占者として悪者にすることは表面上の綺麗事としては良いかもしれないが、一歩下がって俯瞰的に見てみればとても賛同すべき主張ではない。

プロフィール

渡瀬 裕哉

国際政治アナリスト、早稲田大学招聘研究員
1981年生まれ。早稲田大学大学院公共経営研究科修了。 機関投資家・ヘッジファンド等のプロフェッショナルな投資家向けの米国政治の講師として活躍。日米間のビジネスサポートに取り組み、米国共和党保守派と深い関係を有することからTokyo Tea Partyを創設。全米の保守派指導者が集うFREEPACにおいて日本人初の来賓となった。主な著作は『日本人の知らないトランプ再選のシナリオ』(産学社)、『トランプの黒幕 日本人が知らない共和党保守派の正体』(祥伝社)、『なぜ、成熟した民主主義は分断を生み出すのか』(すばる舎)、『メディアが絶対に知らない2020年の米国と日本』(PHP新書)、『2020年大統領選挙後の世界と日本 ”トランプorバイデン”アメリカの選択』(すばる舎)

今、あなたにオススメ
ニュース速報

ビジネス

NY外為市場=ドル小幅高、来週のCPIに注目

ワールド

ロシア、ウクライナ北東部で大規模攻撃準備も 米は支

ビジネス

FRB当局者内の議論活性化、金利水準が物価抑制に十

ワールド

ガザ休戦合意へ溝解消はなお可能、ラファ軍事作戦を注
今、あなたにオススメ
MAGAZINE
特集:岸田のホンネ
特集:岸田のホンネ
2024年5月14日号(5/ 8発売)

金正恩会談、台湾有事、円安・インフレの出口......岸田首相がニューズウィーク単独取材で語った「次の日本」

メールマガジンのご登録はこちらから。
人気ランキング
  • 1

    大阪万博でも「同じ過ち」が繰り返された...「太平洋戦争の敗北」を招いた日本社会の大きな弱点とは?

  • 2

    「少なくとも10年の禁固刑は覚悟すべき」「大谷はカネを取り戻せない」――水原一平の罪状認否を前に米大学教授が厳しい予測

  • 3

    ウクライナ防空の切り札「機関銃ドローン」、米追加支援で供与の可能性

  • 4

    過去30年、乗客の荷物を1つも紛失したことがない奇跡…

  • 5

    中国のホテルで「麻酔」を打たれ、体を「ギプスで固…

  • 6

    日本の10代は「スマホだけ」しか使いこなせない

  • 7

    「恋人に会いたい」歌姫テイラー・スウィフト...不必…

  • 8

    休養学の医学博士が解説「お風呂・温泉の健康術」楽…

  • 9

    「一番マシ」な政党だったはずが...一党長期政権支配…

  • 10

    「妻の行動で国民に心配かけたことを謝罪」 韓国ユン…

  • 1

    ヨルダン・ラジワ皇太子妃のマタニティ姿「デニム生地ジャンプスーツ」が話題に

  • 2

    ロシア兵がウクライナ「ATACMS」ミサイルの直撃を受ける瞬間の映像...クラスター弾炸裂で「逃げ場なし」の恐怖

  • 3

    大阪万博でも「同じ過ち」が繰り返された...「太平洋戦争の敗北」を招いた日本社会の大きな弱点とは?

  • 4

    「恋人に会いたい」歌姫テイラー・スウィフト...不必…

  • 5

    屋外に集合したロシア兵たちを「狙い撃ち」...HIMARS…

  • 6

    テイラー・スウィフトの大胆「肌見せ」ドレス写真...…

  • 7

    外国人労働者がいないと経済が回らないのだが......…

  • 8

    常圧で、種結晶を使わず、短時間で作りだせる...韓国…

  • 9

    日本の10代は「スマホだけ」しか使いこなせない

  • 10

    休養学の医学博士が解説「お風呂・温泉の健康術」楽…

  • 1

    ロシア「BUK-M1」が1発も撃てずに吹き飛ぶ瞬間...ミサイル発射寸前の「砲撃成功」動画をウクライナが公開

  • 2

    韓国で「イエス・ジャパン」ブームが起きている

  • 3

    「おやつの代わりにナッツ」でむしろ太る...医学博士が教えるスナック菓子を控えるよりも美容と健康に大事なこと

  • 4

    最強生物クマムシが、大量の放射線を浴びても死なな…

  • 5

    世界3位の経済大国にはなれない?インドが「過大評価…

  • 6

    一瞬の閃光と爆音...ウクライナ戦闘機、ロシア軍ドロ…

  • 7

    タトゥーだけではなかった...バイキングが行っていた…

  • 8

    NASAが月面を横切るUFOのような写真を公開、その正体…

  • 9

    ヨルダン・ラジワ皇太子妃のマタニティ姿「デニム生地…

  • 10

    「世界中の全機が要注意」...ボーイング内部告発者の…

日本再発見 シーズン2
CHALLENGING INNOVATOR
Wonderful Story