日本にも憤る市民、米兵の悲しげな表情... 『Little Birds』が伝える加工なきイラク戦争
ILLUSTRATION BY NATSUCO MOON FOR NEWSWEEK JAPAN
<客観中立を装うテレビとは根本的に異なる映像と編集。米軍侵攻後も現地にとどまり、リポートを続けたフリージャーナリスト・綿井健陽が本当に伝えたかったこと>
大学を卒業した綿井健陽は、埼玉県の工場で期間工として働き、そこでためた資金を元にカメラなど機材を購入して、1997年にようやくフリージャーナリストになった。
とはいえ国家免許や資格があるわけじゃない。自称した瞬間に誰だってフリージャーナリストになれる。
ただし綿井は自称だけではない。その後にスリランカ民族紛争やパプアニューギニアの津波被害、東ティモール紛争に米軍のアフガニスタン侵攻などを現地で取材し、写真や文章で発表し続けた。この頃の彼の肩書の1つは戦場ジャーナリスト。時代はちょうどカメラがアナログからデジタルに変わる時期だ。綿井が発表する映像も、スチールだけではなくデジタルの動画が多くなっていた。
大きな転機は2003年3月20日。アメリカがイラクに軍事侵攻したこの日、首都バグダッドに滞在する日本の組織メディアのほとんどは避難していた。なぜなら本社から退避命令が来るからだ。
欧米の記者たちはほとんどが侵攻後も滞在している。当たり前だ。侵攻の瞬間を取材するために来ているのだから。でも日本のメディアはほぼいない。ジャーナリズムの使命感よりも組織の論理を優先するからだ。
補足するが、いま退避するならば何のために来たんだよと、指示に抵抗した記者やディレクターは相当数いた。でも社命に背くことはできない。二度と現地に来られなくなる。
しかし綿井は米軍侵攻後も現地にとどまり続けた。なぜなら彼はフリーランスだ。退避を命じる上司はいないし、企業コンプライアンスやガバナンスなど組織の論理も関係ない。こうして綿井はバグダッドからイラク戦争を現在進行形で伝え続けた。この頃にテレビでニュースを見ていた人は覚えているかもしれないが、バグダッドからの彼のリポートをテレビ朝日『ニュースステーション』とTBS『筑紫哲也 NEWS23』が放送していた。競合番組なのだから普通はあり得ない。でも現地には綿井しかいないのだ。
やがてイラクから帰国した綿井は、自分の撮った映像がどのようにテレビで加工されていたかを知る。これは違う。これでは伝わらない。そう思った彼は、素材を自分で編集することを決意する。
こうしてドキュメンタリー映画『Little Birds─イラク 戦火の家族たち─』が誕生した。テレビとは何が違うのか。観れば分かる。米軍の無慈悲な爆撃で殺されたイラク市民たちの無残な遺体がモザイクなしで映される。日本もアメリカの同盟国だと憤る市民たちの声が聞こえる。自分たちの加害性に気付いた米兵の悲しげな表情があらわにされる。
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