コラム

日本とフィリピンを結んだアキノ前大統領──皇室との交流が開いた新地平

2021年06月28日(月)18時35分

ただし、アキノの方針は国内で異論も呼んだ。

2015年の戦略的パートナーシップ合意で自衛隊の艦艇がフィリピンで補給できると合意されたことは、一部で「日本の軍事的影響力の拡大」を懸念する声があがるきっかけにもなった。

この背景には、当時の安倍首相が2013年、靖国神社に参拝したこともあった。これは中国や韓国だけでなく、かつて日本軍に占領された経験をもつ東南アジア諸国でも、程度の差はあれ否定的な論調で伝えられ、フィリピンもその例外ではなかった。

その結果、アキノ政権が日本やアメリカとの間で結んだ安全保障協力は議会で修正を求められるなどの抵抗に直面したのである。

こうしたなか、アキノ退任直前の2016年に実現したのが、当時の天皇・皇后両陛下による第二次世界大戦の戦没者慰霊のための訪問だった。

アキノは2015年に国賓として来日して以来、日本との国交樹立60周年を機に天皇・皇后両陛下をフィリピンに招待することを提案していた。戦没者の慰霊を続けていた両陛下にとっても、これは願ってもないことだったと思われる。

実利性を超えた交流

2016年1月、アキノはマニラの大統領官邸に天皇・皇后両陛下を迎えた。会談では政治問題に触れられず、天皇陛下が皇太子時代の1962年に初めてフィリピンを訪問した時のことの他、フィリピンで日本車の人気が高いことや、最近ではユニクロの進出が目覚ましいことなどが話され、終始和やかだったといわれる。

5日間の滞在中、両陛下がマニラ郊外のタギックにある戦没者墓地などフィリピン各地を、日本人だけでなく全ての戦没者を慰霊するために巡ったことは現地メディアでも報道され、「ナショナリスト的な日本政府と大きく異なる」という論評もあった。

戦没者慰霊の旅を続けるその姿にアキノは「他人が下した決定の重荷とともに生きてこなければならなかったことに畏敬の念を覚える」と述べている。

アキノは、ままならない環境のもとでも己の道を守ろうとする両陛下の姿に、好むと好まざるとにかかわらず大国間の狭間で生き残りを目指さざるを得ない自分やフィリピンを重ねていたのかもしれない。

ともあれ、この訪問には、日本とフィリピンの関係に新たな次元を切り開くものであったことは確かで、そのプロモーターになったアキノは政治や経済の実利性を超えた両国の交流の立役者だったといえるだろう。

※当記事はYahoo!ニュース 個人からの転載です。

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プロフィール

六辻彰二

筆者は、国際政治学者。博士(国際関係)。1972年大阪府出身。アフリカを中心にグローバルな政治現象を幅広く研究。横浜市立大学、明治学院大学、拓殖大学、日本大学などで教鞭をとる。著書に『イスラム 敵の論理 味方の理由』(さくら舎)、『世界の独裁者 現代最凶の20人』(幻冬舎)、『21世紀の中東・アフリカ世界』(芦書房)、共著に『グローバリゼーションの危機管理論』(芦書房)、『地球型社会の危機』(芦書房)、『国家のゆくえ』(芦書房)など。新著『日本の「水」が危ない』も近日発売

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