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ラッパーECDの死後、妻の写真家・植本一子が綴った濃密な人間関係

2019年6月24日(月)15時30分
印南敦史(作家、書評家)

Newsweek Japan

<人間関係が希薄になったと言われるが、著者が娘2人と暮らしているのは東京のど真ん中。この日記は心に「なにか」を残してくれる>

昨年1月24日に、ラッパーのECDが進行性のがんで世を去った。享年57、早すぎる死だった。

現在は作家・書評家としての仕事がメインになっているが、文筆家としての私のキャリアは音楽ライターから始まった(今も続けている)。だから音楽業界については相応の知識を持っているつもりだが、活動のベースが一貫してアンダーグラウンドにあったECDについては、ヒップホップに詳しくない方はあまり馴染みがないかもしれない。しかし国内ヒップホップ・シーンの黎明期から活動を続けてきた、紛うことなきシーンの重鎮であった。

ちなみに私が文章を仕事にすることになったのは、ECD(本名で石田さんとお呼びしていたので、ここから先は石田さんと書かせていただく)のファースト・アルバムにひっそりと収録されていた曲がきっかけだった。

「アタックNo.1」というその曲に込められた、「やりたいことがあるなら、御託を並べずにやれ」というメッセージに感化されたのだ。だから私にとっての石田さんは、進む勇気を与えてくれた恩人でもあった。

ただ、石田さんと私の関係には、どこか中途半端な距離感があったのも事実だ。ものを書くようになってから交流もできたのだが、かといって友達というほど親しいわけではなく、でも知り合いであることは事実で......と、なんとなくフワフワとした関係のまま終わってしまったのだ。

晩年は特に距離が開いていったし、いま調べてみたら、最後に会ったのは2014年の終わりか、2015年初頭のことだった。だから、「これをしておけばよかった」「これを伝えておきたかった」と後悔していることは少なくない。しかし、たとえ距離が開いたとしても、その活動はずっとインターネットを通じてチェックしていた。

そんななか、特に関心を持っていたのが、石田さんの妻であり写真家でもある植本一子さん(以下:著者)が2010年から始めていた「働けECD」というブログだった。舞台設備の仕事をしながらラッパーとして活動していた石田さん、そして著者の写真家としての収入からなる石田家の家計簿を公開したものだ。

「ここまで公開しちゃっていいの?」と読んでいる側がハラハラするようなブログだったわけだが、そんなこと以上に惹かれたのは、著者の文章の魅力以外のなにものでもなかった。

さりげない情景描写、心理描写が心地よく、ときに切なく苦しくもあり、つまりは感情をちょうどいいバランスでくすぐってくれるような心地よさがあったのだ。

また、2005年の自伝的小説『失点・イン・ザ・パーク』(太田出版)以来数々の秀作を発表してきた石田さんも、同じように魅力的な書き手だった。だから、このふたりが本を出すと、必ず購入していた。

残念ながら石田さんの著作は、2017年の『他人の始まり 因果の終わり』(河出書房新社)が最後となってしまったが、著者は今もずっと書き続けている。

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