10代の少年が教えてくれた「生きる知恵」――パリの裏側で生きる難民それぞれの物語
配給の中でも、一番喜ばれるものは「水」だ。軽トラックからペットボトルの水が降ろされた瞬間、全員が拍手をして歓声をあげた。
「水は、彼らにとって1番大切だ。凍てつく冬よりも、夏のほうが、死者が出やすい。現状では、パリ市から水の支給があるが、足らない状態だ。それに、今年はパリの夏も猛暑日が続く。彼らは熱を吸収したアスファルトの路上で毎日過ごして寝るため、熱中症になりやすい」
深刻な面持ちで、「ユートピア56」のクリステルが説明した。
ポルト・ド・ラ・シャペルでは、ほぼ全員が路上生活を強いられている。
「寝る場所の確保は、水の次に大切だ。気候の問題ではない。路上で寝ること自体が、非常にストレスを伴う。夜は、暴行や窃盗に遭う危険があり、警察に起こされる可能性もある。そのため多くの人が、日中に睡眠をとる」
「ユートピア56」では昨年より、安心して眠れる場所を提供するため、宿泊者提供ボランティアを募り、女性、未成年などから優先的に割り当ててサポートしている。
「ローカル」から車道を挟むと、高架下で日差しを避けるように難民たちが並んで座っている。
話を聞こうと、彼らの方に向かって歩くと、鼻をつまみたくなるほどの尿の匂いが漂った。彼らが不衛生なのではない。むしろ、シャワーを毎日浴び、食事前には手をアルコール除菌する人もよく見かけるほど、清潔な印象だ。ただ、1000人を超える人数に、設置されたトイレの数が少なすぎるのだ。
妊婦、母親、思春期の女子...。難民として女性はどう生きる?
全身ベールを覆った綺麗な顔立ちの女性が、もどかしそうに兄の側に立っていた。スーダン人のファティマ(21)は、先にパリに着いた兄を追って、2日前に1人でパリに来たという。妊娠している彼女は、恥ずかしがりながらも、こう語った。
「生理が来なくて、吐き気があったから妊娠だと気付いたの。定員オーバーの小さな船に乗って地中海の海に揺られていたときは、とくにつわりが大変だった。病院には行ったことがないけど、今は妊娠4カ月ぐらいだと思う」
彼女が兄と去った後、クリステルが難民の女性の出産事情を教えてくれた。
「彼女たちは、出産まで病院にいくことはない。定期的に難民を訪問する医療ボランティア団体の検診は受けることができても、妊婦に必要な超音波検診などは基本的に受けることがない。産気づいたときだけ病院が受け入れ、出産2、3日後に赤ちゃんと一緒に病院から出るように言われるケースが多い」
路上に段ボールを敷いて2人の娘と座っている、アフリカの民族衣装を着たスーダン出身のアイシャ(35)に話しかけた。長女ライラ(7)は、自分の衣服を几帳面に畳んで、スーツケースに収納していた。次女ニーラ(2)は、お気に入りのピンク色の熊のぬいぐるみで無邪気に遊んでいる。
「肝っ玉母さん」という言葉がぴったりのアイシャは、こう語った。
「母国を出たのは、ダフールの紛争から逃げるためだった。まずリビアまで行き、そこで1年足止めを食った。私たちは子どもがいたから暴力の対象にならなかったけど、娘にまで『ブラック(黒人)』などと暴言を吐かれ、差別をされた。下の娘は当時1歳。幸い、オムツや粉ミルクは、現地にいたボランティア団体がサポートしてくれた。地中海のボートからヨーロッパ大陸が見えた瞬間、希望とここまで来られたことに、感謝で胸がいっぱいになった。今後、とにかく子供に教育を受けさせることが夢だ」