コラム

リオ五輪を(別の意味で)盛り上げてくれた中東の選手たち

2016年08月24日(水)19時08分

 また、男子レスリング・フリースタイル74キロ級で金メダルをとったイランのハサン・ヤズダーニー・チェラーティーが試合中、着用していたユニフォームの胸には大きく「ヤー・アリー(アリーよ)」(アリーは第4代正統カリフで、シーア派初代イマーム)と書かれていた。いかにもシーア派らしい文句だが、これはオリンピック憲章で禁じられた宗教的プロパガンダには当たらないのだろうか。と、気にしながら見ていたら、男子サッカーで金メダルをとったブラジル・チームのエース、ネイマールが表彰式で頭に鉢巻のようなものを巻いていて、そこには「100% Jesus」と書いてあったのである。どっちもどっちというところであろうか。ちなみに、ネイマールの鉢巻きは今回がはじめてではなく、すでにFIFAでは審議対象になっているという。

hosaka160824-3.jpg

Ueslei Marcelino-REUTERS

柔道男子100キロ超級のエジプトvs.イスラエル

 しかし、政治とスポーツの関係で何といっても一番話題になったのは柔道男子100キロ超級での出来事であった。8月12日に行われた試合ではエジプトのイスラーム・シェハービーとイスラエルのオル・サッスーンが戦い、後者が一本勝ちした。問題はそのあとだ。サッスーンがシェハービーと握手しようと、右手を伸ばしながら、近寄っていったところ、シェハービーはそのまま後ずさりして、握手を拒否したのである。さらに、礼もせず、畳から去ろうとしたため、審判に呼び戻されたが、シェハービーは畳の端でちょこんと頭を下げただけで立ち去ってしまったのだ。

 本来、柔道では試合後に対戦相手と握手する必要はないのだが、礼を行わなかったことについては弁解の余地はない。会場からはシェハービーに対し激しいブーイングが起きていた。エジプト選手の行為はオリンピック憲章や柔道精神にもとるものであるとして、エジプト・オリンピック委員会は彼に帰国処分を科した。

 とはいえ、そこにいたる経緯には複雑なものがあろう。イスラエルとアラブがパレスチナの地をめぐって、4度にわたる中東戦争を含め、長く対立しているのはご存じのとおり。したがって、アラブ人であるエジプト人が、パレスチナの大義のために、握手や礼を拒否したという構図は理解できる。実際、シェハービーは「対戦相手と握手するのは柔道の規則に書かれた義務ではない。それは友人同士のあいだで行われるものだが、彼は友人ではない。わたしはユダヤ人や他のいかなる宗教、異なる信仰とも問題を抱えているわけではない。しかし、個人的な理由により、世界中が見守るなか、誰もわたしにこの国の人間と握手しろと要求することはできない」と述べている。「この国」という表現からも、イスラエルに対する強烈な敵意を感じ取ることができる。

 しかし、エジプトはそのイスラエルと和平条約を締結、国交も樹立しているのである。国交をもたない、他のアラブ諸国とは状況が異なる。仮にイスラエルに対する自分の政治的主張を出したいのであれば、試合そのものを辞退するという選択肢もあっただろう(ただし、政治的な理由で対戦を拒否すれば、これも当然、オリンピック憲章違反であり、処罰の対象となる)。

プロフィール

保坂修司

日本エネルギー経済研究所理事・中東研究センター長。日本中東学会会長。
慶應義塾大学大学院修士課程修了(東洋史専攻)。在クウェート日本大使館・在サウジアラビア日本大使館専門調査員、中東調査会研究員、近畿大学教授等を経て、現職。早稲田大学客員教授を兼任。専門はペルシア湾岸地域近現代史、中東メディア論。主な著書に『乞食とイスラーム』(筑摩書房)、『新版 オサマ・ビンラディンの生涯と聖戦』(朝日新聞出版)、『イラク戦争と変貌する中東世界』『サイバー・イスラーム――越境する公共圏』(いずれも山川出版社)、『サウジアラビア――変わりゆく石油王国』『ジハード主義――アルカイダからイスラーム国へ』(いずれも岩波書店)など。

今、あなたにオススメ
ニュース速報

ビジネス

米EV税控除、一部重要鉱物要件の導入2年延期

ワールド

S&P、トルコの格付け「B+」に引き上げ 政策の連

ビジネス

ドットチャート改善必要、市場との対話に不十分=シカ

ビジネス

NY連銀総裁、2%物価目標「極めて重要」 サマーズ
今、あなたにオススメ
MAGAZINE
特集:世界が愛した日本アニメ30
特集:世界が愛した日本アニメ30
2024年4月30日/2024年5月 7日号(4/23発売)

『AKIRA』からジブリ、『鬼滅の刃』まで、日本アニメは今や世界でより消費されている

メールマガジンのご登録はこちらから。
人気ランキング
  • 1

    ロシア兵がウクライナ「ATACMS」ミサイルの直撃を受ける瞬間の映像...クラスター弾炸裂で「逃げ場なし」の恐怖

  • 2

    屋外に集合したロシア兵たちを「狙い撃ち」...HIMARS攻撃「直撃の瞬間」映像をウクライナ側が公開

  • 3

    ウクライナ軍ブラッドレー歩兵戦闘車の強力な射撃を受け、炎上・爆発するロシア軍T-90M戦車...映像を公開

  • 4

    テイラー・スウィフトの大胆「肌見せ」ドレス写真...…

  • 5

    サプリ常用は要注意、健康的な睡眠を助ける「就寝前…

  • 6

    ロシア軍「Mi8ヘリコプター」にウクライナ軍HIMARSが…

  • 7

    ロシア軍の拠点に、ウクライナ軍FPVドローンが突入..…

  • 8

    常圧で、種結晶を使わず、短時間で作りだせる...韓国…

  • 9

    ロシア「BUK-M1」が1発も撃てずに吹き飛ぶ瞬間...ミ…

  • 10

    「TSMC創業者」モリス・チャンが、IBM工場の買収を視…

  • 1

    ロシア「BUK-M1」が1発も撃てずに吹き飛ぶ瞬間...ミサイル発射寸前の「砲撃成功」動画をウクライナが公開

  • 2

    一瞬の閃光と爆音...ウクライナ戦闘機、ロシア軍ドローンを「空対空ミサイルで撃墜」の瞬間映像が拡散

  • 3

    どの顔が好き? 「パートナーに求める性格」が分かる4択クイズ

  • 4

    AIパイロットvs人間パイロット...F-16戦闘機で行われ…

  • 5

    ロシア兵がウクライナ「ATACMS」ミサイルの直撃を受…

  • 6

    「2枚の衛星画像」が伝える、ドローン攻撃を受けたロ…

  • 7

    屋外に集合したロシア兵たちを「狙い撃ち」...HIMARS…

  • 8

    常圧で、種結晶を使わず、短時間で作りだせる...韓国…

  • 9

    ロシアの大規模ウクライナ空爆にNATO軍戦闘機が一斉…

  • 10

    メーガン妃の「限定いちごジャム」を贈られた「問題…

  • 1

    ロシア「BUK-M1」が1発も撃てずに吹き飛ぶ瞬間...ミサイル発射寸前の「砲撃成功」動画をウクライナが公開

  • 2

    韓国で「イエス・ジャパン」ブームが起きている

  • 3

    「おやつの代わりにナッツ」でむしろ太る...医学博士が教えるスナック菓子を控えるよりも美容と健康に大事なこと

  • 4

    最強生物クマムシが、大量の放射線を浴びても死なな…

  • 5

    「燃料気化爆弾」搭載ドローンがロシア軍拠点に突入…

  • 6

    ロシアが前線に投入した地上戦闘ロボットをウクライ…

  • 7

    世界3位の経済大国にはなれない?インドが「過大評価…

  • 8

    一瞬の閃光と爆音...ウクライナ戦闘機、ロシア軍ドロ…

  • 9

    タトゥーだけではなかった...バイキングが行っていた…

  • 10

    NASAが月面を横切るUFOのような写真を公開、その正体…

日本再発見 シーズン2
CHALLENGING INNOVATOR
Wonderful Story