コラム

泣ける歌 イスラエルで復権した「クウェート人兄弟」

2018年03月30日(金)12時20分

イラク訛りのアラビア語で歌うドゥドゥ・タッサ

クウェーティー兄弟がイスラエルで復権したのは21世紀に入ってからだ。サーリフの子、シュローモーとダーウードの孫、ドゥドゥ・タッサが兄弟の名誉を回復する運動をはじめたのである。

そのかいあって2008年にはテルアビブのある通りに「クウェーティー兄弟通りal-Kuwaiti Brothers St.」の名前がつけられた。なぜ、アラブ人の名をイスラエルの通りの名につけるのだという反対の声は相当あったようだ。

ちなみにシュローモーの姓は、エルキヴィティElkivitiという。アラビア語のアル・クウェーティーをそのままヘブル語に置き換えただけだ。「クウェート人」という姓をもったイスラエル人はそう多くいないであろう。最近はアラビア語のメディアからインタビューも受けており、この変わった苗字への誇りを明らかにしている。

一方、ドゥドゥ・タッサは、祖父の血を受け継いだのであろう、ミュージシャンとして活躍していたが、大半のイスラエルの若者と同様、もともとの音楽的な背景はロックであり、ジャズであった。しかし、祖父の活躍を知るようになると、彼は、徐々にその音楽性や背後にあるクウェーティー兄弟の苦難の歴史に惹かれるようになる。

ドゥドゥ・タッサは祖父ダーウードの娘の子である。ドゥドゥとはダーヴィード(英語のデイビッド)の愛称で、祖父の名ダーウードはダーヴィードのアラビア語読みである。つまり、ドゥドゥ・タッサは音楽家だった祖父と同じ名をもっているわけだ。

祖父は彼が生まれる6ヶ月前に死んでいたが、母がドゥドゥを身ごもっているあいだ、娘やまだ見ぬ孫のためにずっと歌を聞かせつづけていたという。ドゥドゥが同じ名前の祖父と同じ道を歩んでいったのはけっして偶然ではないだろう。

2011年に出たアルバム『ドゥドゥ・タッサとクウェーティー兄弟』はその名のとおり、クウェーティー兄弟の曲を現代風にアレンジした作品を集めたものである。YouTubeで新旧の同じ曲を聴き比べることもできるので、関心あるかたはぜひ試していただきたい。イスラエル人のドゥドゥ・タッサの歌うイラク訛りのアラビア語が思いのほか心に沁みてくるだろう(泣けるというヤツだ――たぶんアラビア語がわからずとも)。

(クウェーティー兄弟)

(ドゥドゥ・タッサ)


実際、YouTubeに投稿されたドゥドゥ・タッサが歌うクウェーティー兄弟の曲には、ヘブル語(ヘブライ語)のコメントに混じって、多くのアラビア語や英語のコメントがつけられている。その大半がイラク人やクウェート人からのものである。わたしが見たかぎり、そのコメントはドゥドゥの歌を絶賛するものばかりであった。

政治やイデオロギーに翻弄されたクウェーティー兄弟とその業績がイスラエルのみならず、アラブ世界でも再評価されるようになったのは喜ばしいことだ。しかし、米国は、国際社会の反対を無視して5月にも大使館をテルアビブからエルサレムに移転させる予定である。アラブ諸国が強硬に反発することも予想される。

シュローモー・エルキヴィティやドゥドゥ・タッサが、父や祖父の生まれ育ったクウェートやイラクに戻れる日が近いとは到底思えない。だが、遠く離れた国の民が音楽によって歴史や文化を共有できるようになっただけでも、一歩前進なのかもしれない。願わくば、こうした共感が政治まで突き動かしてくれるといいのだが。

(ドゥドゥ・タッサの「アラー・シャワーティー〔岸辺にて〕」)

(ドゥドゥ・タッサの「サーイブ・ヤー・ガルビー・サーイブ〔心みだれて〕」)

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プロフィール

保坂修司

日本エネルギー経済研究所理事・中東研究センター長。日本中東学会会長。
慶應義塾大学大学院修士課程修了(東洋史専攻)。在クウェート日本大使館・在サウジアラビア日本大使館専門調査員、中東調査会研究員、近畿大学教授等を経て、現職。早稲田大学客員教授を兼任。専門はペルシア湾岸地域近現代史、中東メディア論。主な著書に『乞食とイスラーム』(筑摩書房)、『新版 オサマ・ビンラディンの生涯と聖戦』(朝日新聞出版)、『イラク戦争と変貌する中東世界』『サイバー・イスラーム――越境する公共圏』(いずれも山川出版社)、『サウジアラビア――変わりゆく石油王国』『ジハード主義――アルカイダからイスラーム国へ』(いずれも岩波書店)など。

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